by yamada-07
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友達

友達ってなんですかね。
難しいようで、簡単なようで、でもやっぱり難しいようで。

昔は、「一緒にいて楽しければ、それはもう友達だろ」と思っていました。
難しく考えることはない、と。

今でもその基本路線は変わっていません。関係にごちゃごちゃ理屈をつける方が、不純なように思えますし。

でも、それでも友達というものに一つの定義を加えるとしたら。

「その人からなんらかの不利益を被っても、なお笑って許すことができる人」

そんな風なことを言いたいと思います。

ここで大事なのは「笑って」ということです。

少し迂遠な道筋をたどりますが、少々ご説明。
スペインの哲学者、オルテガ=イ=ガセーが著した「大衆の反逆」の中にこんな一節があります。


「文明はなによりもまず、共同生活への意思である。他人を考慮に入れなければ入れないほど、非文明的で野蛮である。野蛮とは、分散への傾向である。
(中略)
自由主義は(略)最高に寛大な精度である。なぜならば、それは多数派が少数派に認める権利だからであり、だからこそ、地球上にこだましたもっとも高貴な叫びである。それは敵と、それどころか、弱い敵と共存する決意を宣言する。
(中略)
敵と共に生きる!反対者と共に統治する!」
(中公クラッシクス オルテガ「大衆の反逆」P89,90 訳:寺田和夫)


日常の中で、全て自分の意見が通るということはありません。必ずどこかしらにコンフリクトが起こっています。小は電車の席取りから、大は国会での法案まで、他者とせめぎあわざるを得ないところがあります。
しかし、我々が文明社会(と呼ばれるもの)の中で暮らしている以上、そのような衝突をむやみに切って捨てるわけにはいきません。その衝突の中でどちらかがその場を収めることになりますが、かといって、折れたほうが消えてなくなるわけではないのです。「敵と共に生きる」必要があるのです。
特に「弱い敵」。相手が自分より弱いということは、その相手方の決定権を自分が簒奪することも可能です。しかも「敵」ですから。自分に都合のよくない意思を摘んでしまったほうが、自分にとってはいいに決まっています。
しかし、それを決してすることがない。「弱い敵と共存する」のです。
それが文明である、自由社会である、とオルテガは言っています。


さて、前置きが長くなりました。改めてご説明。
私たちは、日々の生活の中で何かしら誰かから不利益を被ります。その不利益も、物質的なものから精神的なものまで様々です。
しかし、文明社会(日本をそう呼んでも差し支えはないと信じています)に住んでいる私(たち)は、その不利益をもたらすものに対して、むやみにサンクションを与えるわけにはいきません。もちろん法的な次元にまで行けば話は変わりますが、今は日常レベルの話です。

不利益をもたらすものを直接的に抹殺(直接的な意味ではなく)できないということは、その不利益を甘受せざるを得ないということです。

で、この不利益を被らざるをえないときに、普通ならムッとしますよね。
疲れてるときに電車で席に座りたかった。でもわずかな差で他の人に座られてしまった。
ムッとしますよね。
けれど、そこでムッとすることなく「ま、いっか」と笑って許せる人。友達と呼べるのはそんな人だと思います。


とまあこういうわけです。やっぱり理屈っぽくなってしまいましたが、そういう人間なもんで勘弁を。
そんな人が多くはないとはいえ、皆無ではないことに、多少なりともの自分の幸運に感謝します。
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by yamada-07 | 2005-07-07 01:00 | 雑記