by yamada-07
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身の程を知れ!

とはよく聞く言葉です。いえ、正確にはよく読む言葉でしょうか。本や演劇などで耳にする割にはあまり日常生活で使う人はいなそうです。「そ、そんな馬鹿なぁ!」と豪快に悲嘆にくれる人がいないのと同じでしょう。


で、この言葉。
昔から日本では、身の程を弁えるということが美徳とされていました。
場所、人、状況に応じて、自分の立ち居振る舞いを調節することが、社会的に求められていた資質でした。
それゆえに、その場にそぐわない行動をする人にはなんらかのサンクションが課せられ、その一つが↑の言葉でした。


時が流れて、いつの間にやらそのような行動様式は、時代遅れのものとしてみなされるようになってしまいました。

「いつでもありのままの自分で」
「やりたいことを我慢することはない。それが自由社会だ」

このようなイデオロギーが、今まで「身の程を弁える」という考えが占めていた地位に取って代わっています。

進歩的、開明的とも思われているであろうこの考え方は、果たして本当にそんなにいいものなのでしょうか。あまりにも自明なものとして受け取られているこの考え方を見直す必要があるのではないでしょうか。

「身の程を弁える」ということは、単に状況に自身を応じさせるという意味合いだけでなく、状況に応じうるだけの能力が自分に備わっているか、と反省的に自己を振り返ることも意味します。
外的状況に自己を応じさせるという外側への視点だけでなく、外的状況にあわせるための自分の能力を的確に判断するという内側への視点も同時に持つのです。

「いつでもありのままの自分で」などというたわごとについての反対意見は昔の雑記で書きましたので今は置いておきますが、もう一つの「やりたいことを我慢することはない。それが自由社会だ」には、ここで疑義を呈したいと思います。

やりたいことをやりたいようにやる。
言うは易く行なうは難し、とはまさにこのことでしょう。
「やりたいこと」。これは別にいいです。そのくらいはわかるでしょう。脊椎反射のレベルで答えられると思います。
しかし「やりたいようにやる」。これは言うほど簡単なことではないでしょう。
「やりたいようにやる」には、まずそのやりたいことがどのようなことか、しっかり知っていなければなりません。幻想だけを抱いてそれに臨んだところで、その実体がそれからかけ離れていることもしばしばあります(逆に想像以上ということもないわけではありませんが)。
また、自分の能力を把握していないことには、その「やりたいこと」が必要とする技能を自分が所持しているかわかりません。
必要な技能をもたずにとりかかって、なにも、それこそ「やりたいこと」をできないうちに終わってしまうことすらあります。

単に「やりたいことをやりたいようにやる」と言ったところで、「身の程を弁え」ていなければそれもできはしないというお話です。耳障りのいい言葉にもたれかかるのもいいですけど、昔からある日本の考え方を再考してみるのもいいかもしれません。
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by yamada-07 | 2005-07-13 00:28 | 雑記