by yamada-07
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顔は心の鏡

昔から繰り返し言われることには、言われ続けるだけの説得力があります。多くの人が納得するだけの根拠をもたない言説は、人々に膾炙される前に忘れ去られてしまうんで。


で、冒頭の言葉。
どこの誰が言い出したかは知らないが、最近この言葉に強く共感するところがあります。

ちょっと前にとある知り合いが、半年ほど前に振られた彼氏に対してあまりよろしくないようなことをしました。大雑把に言えば、一方的に被害者面をして元彼を人非人に仕立て上げ、他の知り合いに悪評を広めた、って具合です。

いくら憤ってもやってはいけないことってありますよね。それをやるのはちょっと人間的にどうよ、みたいな。それをしたら、なんか自分の性根の悪さがわかっちゃうんじゃね、みたいな。

(興奮して我を忘れている)自分にはなんてことのないことでも、平静な人が見聞きしたら思わず引いてしまうようなこと。つまり、普通に考えたらちょっと見苦しいようなこと。
そんな行為は、通常だったら自分の中で何かしらストップがかけられます。

そりゃそうですよね。誰だっていやですよ、自分が見苦しい人間だと思われることなんて。
ええかっこしいな人でなくても、周りに不快な印象を与えたくない程度には気を遣うはずです。

しかし、何らかの事情で、ストッパーを吹っ飛ばしてしまうほどに感情が昂ぶることもあるかもしれません(例えば、恋人に別れを告げられる、というものはさぞ激情吹き荒れることでしょう)。
そんな時は、↑のような、普段なら決してしまいとする露悪的な行為をしてしまうかもしれません。

ですが、そのような行為、見苦しい行為をしてしまった瞬間、それ以降、必ずその人の顔には「見苦しさ」が表出してしまいます。見苦しい行為を行った瞬間を切り取って、カリカチュアライズしたかのように当人の顔に張り付いてしまうのです。

おそらく(特にストッパーが外れた段階での)露悪的な行為は、行われた瞬間に何らかのカタルシスがあると思われます。
上記の例にしてみれば、自分を振った元彼の評判を落とすことで、自分の中の溜飲が下がるところがあるのでしょう。
カタルシス、つまりは浄化作用ですが、心の中に溜まった鬱憤を何らかの形で表出させた瞬間に、表面的な「顔」という部分でその浄化が行われてしまうのでしょうか、そこに形を変えた鬱憤が取り付いてしまうのです。

さらに上記の例に即して言えば、その私の知り合いの女性は、↑の行為をしてしまった以降、確実に以前より可愛くなくなってしまいました。以前にあった愛嬌が影を潜め、表情になにかしら棘というかえぐみというかがつきまとっているのです。
これは、私が彼女の行為を批判的に見ているがゆえにそのようなバイアスがかかっている、というわけではありません(ちなみに私は彼女が元彼を非難する場に居合わせたわけではなく、人づてに聞きました)。現在と数ヶ月前の写真を見比べれば、彼女の顔には確実に違いがあると思います。


一度この妖怪じみたものが顔に取り付いてしまったら最後、二度とそれは取り除けないのか?
そうではないと思います。
その妖怪をお払いする方法は、鬼太郎の妖怪ポストに手紙を投函自分のしてしまった露悪行為を反省することにあると思います。
その行為を反省するということは、後悔がついてまわります。後悔するということは、その行為に対して否定が入るということです。
その行為を回顧して、反省、否定し、同時にそのとき実行されたカタルシスをも否定することで初めて、その妖怪を闇に還してあげられるのです。


もしかしたら、各人の顔に憑いている妖怪が見えるのは、その妖怪が嫌いな人、つまり、その人がした露悪的な行為に「悪」を感じる人だけなのかもしれません。
ある倫理的な共通項がすれ違っている人、と言い換えてもいいですが。

てことは、案外病的なまでの潔癖症というのは、度を越えた倫理観(それが良い悪いとは関係なく)がゆえに、全てのものに見苦しい妖怪が見えてしまっている人なのかもしれません。なんてね。

ともあれ、見苦しい風に見られたくなければ、見苦しい行為をしないが吉ですね。顔にどんどん現れてしまいます。
そもそも、その行為の現場を押さえられた日には言い訳利きませんし。

品行方正に生きるのも悪くありません。
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by yamada-07 | 2005-07-14 00:10 | 雑記