by yamada-07
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間違って理解して。

自分のことをわかってほしい。

一度でもそう思ったことのない人はいないでしょう。
かく言う私だってもちろんあります。

けれど同時に、理解されたくはない、と心のどこかで思っているはずです。

人を理解することはできない云々は以前ちょろっと書きましたが(詳しくはこちら)、その時とはちょっと違う角度でお話をば。


恋人でも親友でも、誰かと仲良くなろうと思えば、その人のことをもっと理解したいと思うでしょう。
どんな食べ物が好きか、どんなスポーツが好きか、作家は誰が好きか、あるいは嫌いなものはなにか。いつ結婚したいか、子供は何人ほしいか、親との同居は大丈夫?などといったことを取り留めなく考えてしまうのは人間の性でしょうか。

このように、相手のことを理解したいと自分が思っているわけですが、同様に必ず相手のほうも理解されたいと思っているはずです。
これは自分のことを省みれば誰でも納得してもらえることでしょう。自分の好きな人に理解してほしいと思ったことがないなんて言わせません。

しかし、「理解したい/されたい」の構図があるのに、なぜそこに「お互いの完全な理解」ということが起こらないんでしょうか。世界に数多存在する恋人夫婦、一組ぐらいは「お互いの考えていることはばっちり☆明日のパンツの柄までお見通しよ」ということがないのでしょう。

なぜか。
それは、理解されたいほうが、理解してほしがると同時に、理解されることを拒んでいるからです。

なにを訳のわからないことを、とお思いでしょうが、まあお静かに。

理解してほしいけど理解されたくない。
このアンピバレンツな要請は、言葉を補ってあげなければ意味は通りません。


理解してほしい。
この気持ちは上で述べたように、誰にでもある感情です。
では、理解されたくないとはどういうことか。

TVゲームを例に出してみます。
例えばストⅡやら鉄拳などのいわゆる格ゲー。やりこみにやりこんで、もう誰が相手でも絶対に負けないまでに強くなってしまったとしましょう。

例えばドラクエやロマサガなどのRPG。レベルをMAXまで上げて、裏ボスや隠しアイテムまですべて入手し、エンディングも全キャラ見たとしましょう。

例えばF-ZEROやグランツーリスモなどのレーシングゲーム。誰にも(自分自身にも)破ることのできそうもない不倒の記録を打ち立てたとしましょう。

そんなゲームを前にして、まだあなたはそのゲームをやる気になりますか?
もう飽きて他のゲームに手を出そうとしませんか?


つまりはこれと同じ理屈だと思います。
そのゲームをもうどうしようもなくなるくらいまでやりこんだら、すなわち、そのゲームを理解してしまったら、もうそのゲームに対して面白みは感じられません。棚の中にお蔵入りです。
人間でも、理解したいと切望するあまり、その人を完膚なきまでに理解してしまったら、もうその人に魅力を感じることはできないのではないかと思います。
だって、その人が次に何をして何を考えるのがわかってしまったら、プログラムを知っているA.Iと接しているのと変わりません。人は何をするかわからないからこそ面白いのです。

そして、他ならぬ自分自身、そのことを知っています。自分のことを理解してほしいけど、すべて理解されたら飽きられてしまう、と。
しかし、それでも自分のことをわかってほしい。

この二つの引き裂かれんばかりに矛盾した気持ちは、ある形をとってそれを解決しようとします。
それは、「自分のことを間違って理解してほしい」という形です。


また訳のわからないことを、と思わずに。そろそろ慣れてください。


思うに、このある意味本末転倒な願いこそ、相反する要請を同時に包含しうる数少ない形なのです。

自分のことを間違って理解されるということは、当然の如く、自分のことをわかってはもらえていないということです。
もちろん誤った理解であれば、いつかそこにはボロがでてきます。その瞬間に自分は「ああ、理解してもらえていなかったんだな」と思い、相手は「ああ、理解できていなかったのか」と悟るのです。

しかし、まさにその瞬間にこそ、この倒錯した願いは効果を発揮します。
相手がその誤解を悔恨と共に悟ったと同時に、

「自分は相手を理解できていなかった」
        ↓
「ならば、相手の心はもっと別なところにあるはずだ」
        ↓
「それを是が非でも理解したい」

このような欲望が駆動されるからです。

不理解による落胆と、それによるさらなる理解の切望。
そのような終りなきサイクルを駆動させ続けるために、人はを誤って理解されることを望むのです。


この願いは、別れのときに顕著に顕在します。つまり、

「あなたは私のことを少しもわかっていなかったのよ」

と。

理解してほしい、でも理解されたくない。でもやっぱり理解してほしくて……
引き裂かれんばかりの願いが引き裂かれたばっかりに、このような別れの言葉が紡ぎだされてしまいます。
コインの裏表をどっちかだけにしたい。そんな無理難題は、関係の破局という形でしか表れ得ないのです。

すなわち、恋愛の破局とは矛盾の解消である、と。


理解してほしいけど理解されたくない。
この矛盾する願いが同時に存在することがお分かりいただけたでしょうか。
ま、だからどうだっていう生産的な話ではないんですが、人は相反するものを抱え込んで生きていかなくてはいけない、というお話の一端です。


それはそれとして、あー彼女がほしい。
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by yamada-07 | 2005-07-22 23:44 | 雑記