by yamada-07
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うるさい声

電車の中で、見ず知らずのカップルがしゃべっていました。

ヴェローチェで、見ず知らずの三人組がライブの曲の確認をしていました。

学校で、見ず知らずのオケ連中がコンサートの打ち合わせをしていました。


上の三つの場所では、もちろん他にもしゃべっている人がいました。
しかし、私にもっとも耳障りに聞こえてきたのは、上の人たちでした。


なぜ彼ら彼女らの言葉が、優先的に私の耳に不快に届いたのか。


それは、彼らの声が、もっともあたりを気にしていなかったからです。

単純な声量の差ではありません。似たような声量で、もっと私の近くでしゃべっていた人がいたにも関わらず、彼らの声の方が私にまでよく届いたのです。

電車内。
喫茶店。
学校のラウンジ。

不特定多数の人が集まり、かつ限定性・閉鎖性が高い場所は、公的な性質を帯びる度合いが高くなることを考えると、これらの場所は公的な場所であると言えそうです。

公的な場所では、もちろん各人の私的な性質を抑制することが求められます。
それゆえに、その場所の公的な属性は保証されるのです。

私的性質の抑制。
簡単に言えば、周りの人に配慮をするってことです。
ここは自分たちだけが占有している場所ではないと自覚することです。

もっと具体的に言えば、声のトーンを普段よりワンランク落とすってことです。

「周りに人もいるし、ちょっとは声をひそめとこうかな」

このような配慮がなされた声は、単純な声量のレベル以上に、周りの耳に届くレベルが下がります。
周囲を憚る気配が、声の中に必ず見出されるのです。


逆の例として、まだ幼い子供のことを考えてみてください。
幼児の笑い声や赤ん坊の泣き声というのは、その声量如何に関わらず心をささくれだたせます。
彼らは、まだあたりをはばかるというところまで考えが及びません。
自分とすぐ近くの既知のもので世界が完結してしまっているからです。未知のものは「存在してるけど存在しない」というようなくくり方で把握されています。

それゆえ、彼らの声は容赦がないのです。
既知のもの(母親などが特にそうですか)に届けばいい。未知のものは存在してるけど存在してないから、この声が聞こえていようがいまいが関係ない。
だから、彼らの声は無方向にやたらめったら飛んで行くのです。


言っちゃえば、耳障りな声ってのは、その当事者たちのレベルが幼児と大差ないってことですかね。うわ、言っちゃった。


とにかく、公共の場ではほどほどの声でしゃべってもらいたいもんです。


あとで我がふりを省みまくってみますので、今日の暴論はまあ勘弁してつかぁさい。
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by yamada-07 | 2005-07-26 00:28 | 雑記