by yamada-07
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すねに傷持つ

実家の姉の蔵書の中にMariaという漫画家の作品があり、そのあとがき(のようなところ)に「わたしは学生の頃に心無い人からひどく傷つけられ、それ以来決して人を傷つけまいと思うようになりました」というようなことが書かれてありました。


ふむふむ、至極立派なことだと思います。
しかし、それだけを考えているっていうのはちょっと危険なことなんじゃないかとも思います。

人を傷つけるってのは、もちろん自覚的に傷つけてやろうと思ってする場合もありますが、たいがいの場合は無自覚の内に傷つけてしまっていることでしょう。そして、えてしてそのような時こそ人の心は深く傷ついてしまいます。握っていることを知らずに振り回しているナイフは、どこまで他人の体に食い込んでいるかもわからないのですから。

「自分は決して人の心を傷つけないようにする」と決意することはたやすいです。ええ、決意するだけなら。
実際に他人が傷ついていないかどうか、それを確認することは決してたやすいことではありません。神ならぬ人の身、他の人の心なんかわかるはずもありません。口では「平気だよ」などと言っても、心では大きな傷を負っているということは、わが身を振り返ってみれば何度かあることでしょう。

「自分は決して人の心を傷つけないようにする」と信じ込むのはたやすいです。ええ、信じ込むのは。
信じ込んでしまえば、なるほど決して人を傷つけていはいない。すくなくともその幻想に浸ることはできます。

人を傷つけずに生きていけると言うのは幻想であると私は思います。
もしかしたら何かの偶然が重なり、生涯誰も傷つけずに生きることができたとしても、本当に誰も傷つけずにいられたかということを知ることは叶いません。人は「誰かを傷つけたかもしれない」という加害妄想から逃れることはできないのです。

さらに極論してしまえば、人を傷つけるのはしょうがないことだと思います。
他人が何をされると傷つくのか、その逐一を把握することはできません。さらにそれがあなたの出会う人全員となると何をかいわんや。自分の好意がかえって人を傷つけることすらあるのですから。

そこら辺を加味した上で私なりに彼女の決意をアレンジしようとすれば、「人を傷つけてもしょうがないと思うような人間にはならない」って感じでしょうか。
すぐ上で「人を傷つけるのはしょうがない」なんて言ったすぐ下でこんなことを言うのは気が引けますが、そういうことです。
人を傷つけることは不可避なものだけど、その不可避を不可避として受け入れないことに私なりの矜持があります。
必然にすら責任を負う過剰な有責性。それこそが人間の倫理である。
ってレヴィ=ストロースが言ってた気がしますし。

もちろん聖人とは千里の隔たりがある私。嫌いな人間は十指に余ります。そんな人たちと接さざるを得ないときは、どうしても普段以上に傷つけていることでしょう。おそらくは無意識のうちに選択的に。
しかし、傷つけたことそれ自体に対して全幅の責任を負う覚悟はあります。誰かを傷つけて、それでもその人に嫌われたくはないなどと思いはしません。自分が誰かを嫌うなら、その人にそれ以上に嫌われてもそれは当然のことである、と。
上のアレンジ版の裏表みたいな考えですけどね。


結局のところMaria女史とは面識はないので、彼女がどんな人かはわかりません。作品を読むに、きっと素敵な優しい女性でしょう。ええたぶん。
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by yamada-07 | 2005-09-24 13:10 | 雑記