by yamada-07
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

三つの「私」

最近私が文章を書いている媒体は主に三種類。mixiと小説とこのブログです。

mixiは「毒にも薬にもならない」をコンセプトに、極めて簡素な文章を。
小説はまだ書き始めたばかりなので書式はまだ完全に定まっていませんが、現在は三人称視点から語られるスタイルで。
ブログはまあ今まで読んでもらってる通りです。

三種類全てに眼を通している人は極めて稀(小説をほとんど公開していないのでそのせいですけど)ですが、この三種の文章、全て書式が違います。自分の書いたものをどこまで客観的に評せるかわかりませんが、あえて特徴を挙げてみるなら、

・mixi 上記の通り、「毒にも薬にもならない」がコンセプト。如何に事件を簡素に無感情に表現できるかを考えています。「読んで損した」と前言われました。誉め言葉ですがなにか?

・小説 今の作品は「肌触りのいい文の流れ」を念頭に置いて書いています。伊坂幸太郎の文章がコットンの肌触りだとしたら、ナイロンのような肌触りというか。音読しやすい文章といってもいいかもしれません。

・ブログ 記事の内容によって多少ぶれがありますが、特に「雑記」を書く時は、「筋目の通った文章」、「折り目正しい文章」を目指しています。きちんと最後で話が収束するように通りのよい文章というか。再び比喩的に表現すれば、糊の効いたシャツのような文章です。

このように、異なるスタイルでほぼ毎日何かしらの文章を書いていますが、それぞれの文章を書いている時の「私」は、おそらくそれぞれ別の「私」なのだと思います。どの「私」が本当なのだとかではなく、それぞれがそれぞれの時の「私」なのです。

三種の媒体では、使われている語彙も違うし、文の繋ぎ方も違うし、文章の結び方も違います。見てみたことがないのでわかりませんが、もしかしたら書いている私自身の顔つきも違うのではないでしょうか。
人は言語によってアモルファスな世界に分節線を入れる。ならば、その使う言語が微妙に異なる「私」は、その時々により世界を異なって認識をしているはずです。つまり、その時々によって違う「私」であるはずなのです。

様々な「私」が存在しそれらの選択ができる。さらにある程度自覚的に「私」の数を増やすことができるというのは、けっこう芸に幅が広がるんじゃなかろうかと期待をしているのですが、どうでしょうかね。文章の流れ、つくりが単純なものに陥るのは防げるんじゃなかろうかとは思います。あとは、模倣というか、他の人の文章から影響を受けやすくなれるんじゃないでしょうかね。これはほとんど言い意味限定で。意識的に「私」を変えられるということは、逆に言えば「私」をある程度固定できるということです。「あ、いいな」と思ったことを吸収できても、「……うえ」と思うようなものについてはざっくり切り捨てる、あるいは反面教師にできるかと思います。
うん、わりと有効そうな気が。

たまには気分転換に文体を変えてみると、結構面白いですよ。それで長文を紡ぐのは難しいですけど、ほんの手慰みに誰かの書き方をまねてみるのも悪くないかと。
[PR]
by yamada-07 | 2006-04-08 00:55 | 雑記