by yamada-07
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

23歳今現在の考え

小説を書いてるときの自分は、なんと言うか、自分ではない。
勿論書いているのは自分自身なんだけど、文章を生み出しているのは、ここでこうしている日常の自分では、たぶんない。
自分によく似た、限りなく自分とニアリーイコールなんだけど、どこまでいってもイコールにはなれない、そんな漸近線的な自分。

小説を書いてるときの自分は、たぶん脳内麻薬がバンバンでてる。
ドーパミン全開。エンドルフィン流出。下手すりゃ呼吸も忘れてるんじゃないかと思うくらい恍惚としてくる。
文章を考え、書き、その続きを考え、書き、悩み、カフェオレ飲んで、書き、悩み、悩み、考え、書く。
アイデア(文章)が浮かび、それを原稿用紙に書き付けている時の自分は、ものすごい形相をしているんじゃないかと思う。たぶん、息はしていない。書き終わると、頭が少しくらくらしているから。

今現在この文章(このブログ)を書いている自分も、小説を書いている自分と違えば、日常の自分ともちと違う。たぶん、小説に自分より、さらに日常の自分に近い。漸近線なのに比較ができるのかっていうゼノンちっくな矛盾もあるけど、それは置いといて。

いやはや、いったい小説を書いている自分はなにを原動力にして文章を生み出しているのだろうか。
たぶんそれは、限りなく近いけどどうしょうもなくズレている(日常の)自分とのぶれ。
そのブレが小さければ小さいほど、そいつは頑張って書ける。
自分がそいつに自身を仮託して文章を書いているのか。そうなのかもしれない。

漸近線であるということは、そいつは決して自分の延長線上に存在し得ないということだ。
ぎりぎりのところでそいつと自分は別人ということだ。
でも、そいつは確かに自分自身であはあるのだ。

この二つの存在の淡い境界線上に、自分の創作意欲は眠っている。掘り起こされるのを待っている。
自分には、そこにどんな鉱脈が眠っているのかわからない。もしかしたらくず鉄ばっかりかもしれない。
でも、そこに何が埋まっているか決められるのは自分だけ。
他の人にはくずかもしれないけど、自分にとってはまばゆい財宝かもしれない。
掘り起こして、より分けて、精製して、磨けば、他の人にとっても価値が出てくるかもしれない。


たぶん小説を書くってことは、そういうことなのかもしれない。
[PR]
by yamada-07 | 2006-10-17 22:10 | 雑記