by yamada-07
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さすがに

今日は何の日か知ってます。こどもの日です。

ですよね?ね?

とりあえずそいうことにしておきますが、今日はそれにちなんで「子供と大人の違い」というものを考えてみようと思います。

別に、成人式を迎えたら大人、とか、アソコに毛が生えたら大人、とかそういう話ではありません。精神的な意味での話です。

もちろん精神的に大人と子供を分かつものはたくさんあるだろうし、人によって、とらえかたによって様々な言い方ができます。ですが、分量と私の気力の都合上、今回はその内のひとつを私なりの言い方で。

じゃあそれはなにかと言えば「恥を知ること」だと思います。
侍ですね。日本人ですね。「菊と刀」読みましたか?

しかし、
授業中先生に当てられて答えられなかった、恥ずかしい。
運動会の徒競走で転んでしまった、恥ずかしい。
学芸会の劇で台詞をかんでしまった、恥ずかしい。

そんなことは小学生でも知ってます。

では、大人が知るべき「恥」とはなにか。言ってみれば「自分ではそう思わなくても、客観的には恥ずかしいと思われること」でしょうか。

しちめんどくさいテーゼです。なにしろ、自分では当然と思っていることに疑惑の目を向けなければいけないのですから。下手に考えすぎてしまうと、怖くて何にもできなくなってしまいます。
しかし、それでも公共的な場で振舞うには、この感覚を知っておく必要があると思います。
客観的に見て恥ずかしいということを知るには、自分の視座を他者的、俯瞰的にあつらえる必要があります。自分を第三者として観る自分。自分と第三者の関係を俯瞰的に観察する自分。まるで、自分で自分の後頭部を見たい、と言うようなものです。

公共の場とは、「第三者のためにある空間」です。この場では、自分のことは自分自身で括弧に入れる必要があります(そんな「あなた」の利害は、自身を括弧に入れた第三者が考えます。このように、公共の場での個々人の利益は、相互的に担保されています)。それゆえに、自分の行動を第三者的に見ること、「恥を知ること」が求められるのです。

上にも書きましたが、これは考えすぎると精神を患いかねないもの。四六時中頭に焼き付けておくほどではないですが、三五時中は頭の片隅にちょこっと置いておきたいなぁ、と。


裏を返せば、子供とは「公共性を省みないもの」ということになります。なんだかずいぶんとありふれたテーゼになっちゃいますね。当たり前のことは、長く語り継がれているがゆえに当たり前なんでしょうか。

ちなみに、「恥を知るものが大人」というテーゼにおいては、「大人と胸をはって堂々と自分でいえる人」というのは、たいがいの場合、そういう人は大人とは言いがたい、という結論に帰着しちゃいます。
私はまだまだ大人ではありません。早く堂々と大人と呼べる(呼ばれる)人間になりたいものです。おこちゃま山田でした。
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↓毛は生えてますよ



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by yamada-07 | 2005-05-05 13:07 | 雑記