by yamada-07
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ひとにやさしく

これはブルーハーツの曲のタイトルです。断じてドラマのタイトルではありません。


それはともかく。


あなたはやさしい人ですか?
もしそうなら、なにをもってそう言えますか?
逆も然りです。
なにをもってやさしくないと言えますか?

まあ自称やさしい人ってのも胡散臭いですけど。

質問を変えて、どんな時に「あ、この人やさしいな」って思いますか?
その答えは簡単、親切にしてもらったとき(ほとんど同語反復ですけど)とか気を利かせてもらったときとか。ま、自分に何かプラスになることを第三者的な意思でしてもらったときですよね。

で、ここで重要なこと。「第三者的な意思」です。
もっと乱暴に言えば「相手が勝手にやってくれたこと」ですね。
自分で頼んで何か手伝ってやってもらうこともあるでしょうが、それでも最終的には相手の考えでやってもらってるわけです。

これでなにが言いたいかと言えば、「やさしさとは外部からしか訪れないものである」ってことです。

なにを当たり前なことを、と思うかもしれませんが、これはけっこう大事な話。「外部からしか訪れない」ということは、その「やさしさ」が稼動しだす瞬間において、自分自身には一切決定権がない、ってことなんですから。

自分が何かしてもらうよう頼むにしても、あるいは誰かがすすんでなにかしてくれるにしても、その決定には自身の意思が介入する余地がありません。その選択(つまり、やさしくするかしないか)を甘んじて受け入れるしかできないのです。

で、その論理からいくと、どういう話になるか。

「やさしくされないのが普通、してもらえたらラッキー」

ってことです。

いくら今の自分の境遇がきつくて誰かの助けがほしくても、その助けをだす決定を下すのは自分ではありません。その状況をみて「やさしさ」を稼動させるかどうかは、第三者が決めるんです。

とは言っても、実際に「助けてくれ」とSOSを出しているのにやさしくしないのは非情な話。よっぽどじゃない限り、そこに関してはやさしくするのがむしろ当然です。

私が言いたいのは、「他人のやさしさをあてにするな」ってことです。自分の行為の中に、初めから他人のやさしさを勘定に入れるのはよくない、って話です。
実際、自分に決定権のないことを初めから計算にいれとくなんてずいぶんと危なっかしいと思いません?
意識的にやってる人はそりゃ少ないでしょうが、多くの人は無意識のうちに他人の感情を(恣意的に)予測して行動しています。ま、当然ちゃ当然な話ですけどね。

それでも他人のやさしさをあてにしない、つまり、状況予測を相当過酷なものにしておくと、実際の行動の段に移ったときに楽だと思いますよ。なにしろ誰も手伝ってくれなくて普通、ちょっとでも助けてくれればそれだけでプラスなんですから。


余談ですが、誰かにやさしくされたい、と思うなら、先に自分が誰かにやさしくするべきだと思います。これには「自分がほしいものは、誰かから与えられない限り得られない」という強固な人類学的な経験則が絡んでいます。
わかりやすく言えばあれです。バレンタインでなんでチョコがもらえないんだと悩んでるやつは、そもそもチョコがもらえるほどのなにかを女の子にあげてないんです。別に物品には限りません。それこそ「やさしさ」とかです。


話はそれましたが、少なくとも私はこう思って日々行動してます。他人を信用してないんじゃ?といった反論もあるかと思いますけど、そうではありません。なるべく他人の迷惑が少ないように行動指針を設定してるんです。たぶんコインの裏表に近い話ですけど、私はこっちサイドで考えてます。
ま、あえて誰かにすすめるものではないものだと思います。ストイックというかドライというか、それらに過ぎるので。私の周りにも同じ考えを持つ人はそういませんし。
それでも言えることはあります。

みなさん、ひとにやさしく☆

山田でした。
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↓やさしさはまず自分から



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by yamada-07 | 2005-05-14 00:42 | 雑記