by yamada-07
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ことば

「人間のとっての世界は言葉によって切れ目を入れられている」とは、構造主義の始祖(と言われている人)である言語学者、フェルディナン・ド・ソシュールの知見ですが、私はこれに賛成します。
有名な例を挙げれば雪です。
日本では雪を表現する言葉に、粉雪、ぼたん雪、たま雪、べた雪など色々とありますが、欧米では広く「snow」の一単語でくくられます。また、それとは逆に、エスキモーの部族の中では雪を表現する言葉が13種もあるそうです。
これは、欧米では雪が一種類しか降らなかったり、アラスカでは13種もの雪が降る、というわけではありません。降っているものはどこでも同じ「雪」ですが、その社会の言語に応じて、「雪」という自然現象に分節が入れられている、ということです。だから、英語によくなじんだ人がアラスカに行って雪を見ても、その人の目に映るのはただの「snow」でしかありません。

ちなみに、これはその社会における対象への興味の度合いの差でしかないので、そこに優劣はありません。あくまで、差異にすぎないのです。


前置きが長くなりましたが、本題です。
↑で述べたように、人が世界を見るときには、その使用言語によって見え方が変わってきます。
しかし、言語の種類だけでなく、同じ言語を使用しても、その使用語彙の多寡でも世界の見え方は変わってきてしまうのではないでしょうか。

子猫を見て「カワイ~」。
アキバ系を見て「キモ~い」。
宿題の山を前にして「ウザ~い」。
買ったパンが美味しくなかったら「アリエナ~イ」。

以上の四単語は、30代くらいまでの人なら、一日一回は使っているでしょう。もちろん私も日常ボキャブラリーの中にストックしてあります。

これらに代表されるような、自分の感情を手軽にたくせる言葉があります。日常生活を営んでいいる分には、これらの言葉で大過なく過ごせることでしょう。

しかし、お手軽にそれらの言葉で自分の心的状況を表現するということは、裏を返せば、自分の感情の機微が全てそれらの言葉に収納されてしまうということです。極端なことを言ってしまえば、自分の感情が「カワイー」、「キモい」、「ウザい」、「アリエナイ」で全て表現できてしまうってことです。

便利な話なのかもしれませんが、それはむしろ怖い話。たった四種類程度の単語で自分の感情が表現できるなら、そんなことは数年後の人工知能にはできそうなものです。
感情という、人間とロボットを分ける上で相当なウエイトを占めていそうなものが簡単に追いつかれてしまうなんて、そら恐ろしい話じゃありません?


自分の心的推移をなるべく細かなところまで描写しうる言葉(語彙)を習得することてのは、それなりに有効なことだと思います。コミュニケーションの1スキルでもあるでしょう。だって、自分の心の機微を理表現できない人間が他人の心の機微を察しようだなんて、それはちょっとおこがましい気がします。自分の考えてる気持ちを、勝手に「ウザい」だの「キモい」だのでまとめられたらいい気持ちはしないでしょう。少なくとも私は真っ平ごめんです。


なもんで、最近はなるべく使用語彙を単調にしないように気をつけてます。普段の会話の中でこねくりまわしたような言葉を使うのははばかられますから、主に一人で考えごとをしてるときですけどね。ま、一人でぶつぶつ小難しい単語を使うやつも怖いものがありますけど。
山田でした。
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by yamada-07 | 2005-05-19 12:51 | 雑記