by yamada-07
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10/20 ②

小さき者へ・生まれ出づる悩み/有島武郎/新潮文庫

白樺派の有名どころの最後の一人。志賀直哉については、記事にしていないけどずいぶん前に読みました。

「私」の一人称で、心情を強く語りかけていく文体は、同じく白樺派初期の『友情』にも通じるところがあるように思えます。社会性というよりは、人間個人の生き方、心情、伝えたいことを前面に押し出している文体は、正に「前へ前へ」という力の働きを感じることが出来ます。

『小さき者へ』は、作家自身を主人公に据え、自分の子供たちに語りかける形、『生まれ出づる悩み』は創作なのか実際にあったことを基にしているのか判然としないけれど、やはり主人公は有島自身と想定して構わないでしょう。
両作品とも主人公が作家自身と考えると、作品内でいわれている言葉により力強さが増すように思われます。やはり、完全な創作よりも、現実世界との関連がはっきりと見えるほうがその主張に実体性が増すようです。
その点では、同時代の作品、『友情』と大きく異なります(『友情』は、主人公に現実との関連性を、作品だけを読む上では特に感じません)。

というか、これはWikiで調べて知ったのですが、「白樺派」と呼ばれるグループはあっても、それはあくまでサロンのような存在で、作品の方向性に格別類似性があるわけではないようですね。
志賀直哉の「小僧の神様・城の崎にて」は、武者小路実篤、有島武郎の作風とはかなり異なります。もっとも、志賀直哉は、「白樺」創刊後から数年し、武者小路実篤が提唱する人道主義的傾倒を嫌って離反していったので、特にその傾向が強いのかもしれませんし、同書も「白樺」離反寸前に書かれたものなので、もっと前に書かれたものを読んでから判断したほうがいいようですが(『清兵衛と瓢箪』あたりが比較に丁度よい時期のようです)。

有島武郎の力強い語りかけの文体は、なかなか嫌いではありません。血潮が脈打っている文章とでも言いましょうか、作者の鼓動が聞こえてくるようです。
『友情』の文体は、もっと傷つきやすい若さと潔癖さが混じっていて、主人公のtragicを気取っているかのような印象が少し気になってしまいます。
しかし、同じく武者小路実篤の『真理先生』の文章は、実に穏やかで慌てる様子のない、悠々としたものになっています。『友情』から実に30年も経った後の文章ですが、人生の年輪がにじみ出ていると感じられるのです。そのような腰の据わった文章を書いてみたいものです。

そのうちに、志賀直哉の初期の作品とともに、有島の後期の作品も読んでみたいと思っていますが、それぞれの作家に年を経たことによる文体の変化がどのように見られるのか、気になるところです。
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by yamada-07 | 2007-10-21 23:21 | 青春の一ページ