by yamada-07
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隣の芝は青い 完全版

我ながら言葉を弄するタイプだと思うが、時折そんなさかしらな心持ちを彼方まで吹き飛ばすようなシンプルにガツンと響く表現を読んで、ひどく悔しくなることがある。


『心に溜まった血を、ひたすら吐き出す為に。』


「神戸在住」という漫画の中で、主人公が悲しみに押し潰されそうになったときに先輩に泣きながらすがりついたシーンで、このナレーション(的な地の文)が書かれた。

直喩ですらなくずばりと言い切った『心に溜まった血』という表現にくらりとする。

漫画だと絵も付くため多少勝手は違うが、それでもそのシーンに相応しいシンプルな言葉を考えだすのは並大抵のセンスではない。

そのような、短い言葉に輻輳するように意味を持たせる、ある種「詩」的なセンスは、いつの間にか自分には手の届かないところに行ってしまった気がする。それは努力すれば手に入るかもしれないが、努力しなければ手に入らないし、努力しても手に入らないかもしれないものだ。
それは、努力すれば必ず手に入るものとは違う。自分自身との性質との相性に拠ってしまっているのだ。

「はじめの一歩」の板垣君の気持ちがちょっとわかる。
アウトファイターの板垣君のライバルは、インファイターの今井君。足を使ってどんなに細かいパンチを重ねても、一発大きいのをもらえばすぐに状況がひっくり返されてしまう。このスタイルを選んだのは自分自身だけど、それでも劣等感にも似た対抗心を抱かずにはいられない。

そんな気持ち。
ま、板垣君は実質全日本の新人王で、そこを引き合いに出すのは恐れ多くもおこがましいのだろうけど。


上に「短い言葉に輻輳するように意味を持たせる」と書いたけど、私が意識しているのはその真逆で、「言葉を選んで適切に補完させ合い、状況、心理をなるべく精密に描写する」ことだ。

ありがたいことに、時折「語彙が豊富だ」というお褒めの言葉(だよね?)をいただくことがあるが、それも、「状況、心理状態のより正確な描写をしたい」という心性の表れかもしれない。
絵の比喩で言えば、「詩」的なセンスをもつ人は、少ない絵の具でもその混ぜ合わせ方次第で自在に色を生み出せるけれど、それがない私のような人間は、多くの絵の具を用意して、それを様々にに使い分ける必要があるのだ。
あるいはそれは、キュービズムと細密画の違いにも似ているのかもしれない。世界を主観的に切り取るか、(主観的なことを自覚した上で)客観的に切り取るか、そういう違い。
主観的に感じた言葉を堂々と提示するか、自分の主観性をなるべく排除して、より広い範囲で共通認識を得られるように言葉を選ぶか。それが「詩」的と非「詩」的の違いだと思う。

少し逸れたが、そして精密描写を心がけた上で、言葉のリズム、音韻等に気を遣い、言ってみれば音読する時に楽しく読めるような文章を書く。それが私のモットーだ。

黙読している時でも、人はそれを頭の中で読み上げている。黙読ではなく、無音の音読だ。文章がリズミカル(ある一定のテンポを有する、くらいの意味で。あまりぴょんこぴょんこ飛び跳ねるイメージではない)であるほど、読書と言う行為は、内容から離れた楽しさを持ち出すと思う。
勿論書いているものが小説、エッセイ、論文調のものである以上、それが言葉の意味、文章の内容から完全に遊離することはできないし、それゆえ特にコンテンポラリーな詩などには追いつけない面だけど、逆に意味とリズムが結びついた散文には、詩とはまた違った面白さが出てくると思う。

谷川俊太郎氏は「詩は歌に恋している」と言ったけど、それに倣って言えば「言葉はリズムに恋をする」だ。氏の言葉より、もう一つ前の段階での文言だけど、だからこそ文章表現の分野でより広汎的に当てはまると思う。
品なく単語を並べ立てるのは、ある詩人の言葉を借りれば(確かこれも谷川氏だった気がするが確信はない)、「うるさい」のだ。言葉同士が軋みをあげて、言葉のリズムにノイズ(悪い意味で)が混じってしまう。それでは言葉の恋はまっとうできない。その軋みを調整して、かっちり歯車を噛み合わせてあげる。言葉とリズムが丁寧に結びついた文章は、とても「静か」なものなのだ。
ロマンチックでこっぱずかしいことを言えば、作者とは言葉とリズムのキューピッドであるべきなのだろう。うわかっこいい。


一応今回の記事は、初めから四段落目の一文を意識して普段の自分とは違う方向で書いてみたのだがどうだろうか。改めて自分で読んでも、たいして違いはない気がする。当人としては、僅かながらに差異は感じられるのだけど、それはやはり書いた本人だから、というやつだろうか。
あのようなシンプルでズシリとくる(とおぼろげながらに感じる)言葉を、普段のペラペラと進む文体の中にちょろりと入れると、音楽で言うところのリズムブレイクのようで面白いと思うのだが。
淀みなく流れる川の流れに突然石を投げ入れるようなもので、ぶしつけな流れのぶった切りに眉をひそめられるかもしれないが、印象の大きさはひとしおだろう。

蛇足ながら、逆にすごく自分らしいなと感じる文章は、一段落目と、六段落目の二文目だ。
ひとりごちの文章で一文が長くなったり、言葉をリフレインさせて文章を膨らませているのが、なんというか、ひどく「らしい」と思う。
ま、それ以外の各段落の文章も、「らしい」と言えば結局は「らしい」のだと思うけども。論の展開や、例の持ち出し方が、どうしようもなく自分的だと思う。それを抽象的に考えるとまた長くなるのでひとまず置くが。


いまのところ幸いにして、文章を読んだ人間(ま、絶対数が少ないことは事実だが)からは概ね好評をいただいているが、やはりもっと簡潔かつロジカルかつ読んでてニヤリとできるようなスパイスを効かせた文章を書いていきたいと思う。

これからもご贔屓にどうぞよろしくね。
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by yamada-07 | 2008-02-22 02:55 | 雑記