by yamada-07
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alternative

この世の中に存在するもの全ては、それ自身に固有の空間座標軸があり、固有の時間軸が存在しています。平たく言えば、全てのものはオリジナルであり、代わりとなるものは何一つない、ということです。

ロマンチックな物言いですよね。家族、恋人、友人、愛用してきた楽器、履きなれた靴、手になじんだペン、それらはそれ自体かけがえのないものです。何物にも代え難い大事なものです。

でも、それは自分の大事なものに限りません。
日常に転がっているありふれたものたちも、それらが世界に固有のポジションを持っている以上、自分の意識には上らないだけで、「代え難い」ものなのです。

つまり。

世界に存在するものが全て等しく代え難いものならば、逆に言えば、全てのものがあらゆるものに対して代替品になりうるのではないかと思います。

全てのものが世界に、そして自分にとって固有の専一なポジションを有しているのなら、他のいかなるものであれ、そのポジションにとって代わることはできないのです。

例えばAという親友が亡くなったとします。すると今までそのAが占めていたポジションは永久欠番(巨人の背番号3みたいなもんです)となるか、「A]から「亡くなったA」というポジションにシフトチェンジするのみです。
そうなると、今後一切「A」のポジションには誰一人存在することはできません。一人少なくなった親友が後の人生に再び増えることがあっても、それは決して「A]の代わりではありません。その新たな親友の固有なポジションなのです。

愛する妻を亡くした夫の再婚も、それは前妻の代替ではありません。後妻の人のポジションに「妻」という肩書きが増えただけです。


喪失は、あらゆる意味で補填されることはありません。永久の不在です。

生きていく上で、出会いと別れは不可避です。
が、出会いとともにポジションは増えても、別れとともにポジションが減ることはありません。ポジションは増え続けます。


世界のあらゆる存在は代替不可能です。
しかし、その意味で全ての存在は等価であり、ならばこそ、あらゆる存在は代替可能です。
同時に、全てのものの価値は異なるがゆえに等価なのだから、代替可能なゆえに代替不可能となります。

パラドックスというかウロボロスの蛇というか二律背反というか。終りのない循環です。


とりあえずこれにて終りです。抽象的に過ぎる文ですが、ここまで付き合っていただいた方。ありがとうございました。
何が言いたいかは私にもよくわかりません。

代替不可能ゆえに代替可能で、代替可能ゆえに代替不可能で。

これは前々から考えていたんですが、初めて言葉にしてみました。
失敗でした。
失敗記念に遺しときます。

山田でした。
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↓頭がぐわんぐわんです



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by yamada-07 | 2005-06-10 03:11 | 雑記