by yamada-07
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2005年 07月 08日 ( 3 )

二分法

「われわれは団結してテロに立ち向かう。これは文明社会のすべての人に対する攻撃である」


今回のロンドンでの爆破事件に際し、英のトニー・ブレア首相が表明した言葉です。


この破壊行為は決して許されるものではないという大前提がまずありきですが、それでも感じた違和感があります。


ブレア首相の言う「われわれ」って誰ですか?「文明社会のすべての人」って誰ですか?

9.11の時のブッシュ大統領の語り口も本質的に同様なものでしたが、これは「踏み絵」にほかなりません。

「お前は『われわれ』の中に入るのか、それとも外れるのか。
入るならそれでよし。もし外れるなら、お前もテロリストの一員とみなすぞ」と。

この言説は、まったき二項対立で存在していて、そこには味方と敵、「われわれ」とそれ以外しかいません。どちらにも属さない、いわば仲介をなしうる存在が認められていないのです。

どこの国、どこの人でも、無差別破壊行為を是とする人は、まずもっていません。しかし、その前提があってなお、国際情勢での各国の動向には、各々の国の状況に従って、意見が異なってしかるべきです。二項対立、Yes or Noで語るには複雑すぎるグラデーションが描かれるはずです。
しかし、この「踏み絵」にはそのような階調を許しません。文明社会に入るか、野蛮人になるかを迫るのみです。

ブレア首相やブッシュ大統領の言説は、それを発した瞬間に世界に味方と敵を生み出します。
より正確を期せば、同質集団をまず生み出し、それの存在と同時に、事後的に「敵」と呼びうる対立集団を存在させます。そして、そのツートンカラーで世界を塗り分けるのです。

私は、あえて「テロ」という言葉を使ってきませんでした。それは、「テロ(リスト)」とは、世界を敵と味方に二分した後に、「味方(つまりは自分方)」の方から見て初めて使える言葉だからです。「敵」にしてみれば、それは「テロ」などではなくあくまで抵抗、「レジスタンス」であり、自分たちはその闘士だと思っているはずです。

世界を二分法で切り分けることを自制することから始めなければ、「テロ」がなくなることはないでしょう。
越えようのない断絶に隔たれたその世界には、対話、理解などといったものはありません。あるのは敵対と根絶のみとなります。

そんな閉塞的な世界、「テロ」があろうとなかろうと真っ平ごめんですけどね。
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by yamada-07 | 2005-07-08 23:07 | 雑記

七夕の思い出

大丈夫、七夕が昨日だったってことは知ってます。


私が小学生の頃、学校で、各クラスごとに笹にデコレーションをして体育館に飾る、という行事がありました。
私の小学校は一学年に二クラスだったので、六学年×二クラスで、都合十二本きらびやかな笹が、毎年夏の風情を醸しだしていたのです。

その笹もかなり大きいもので、高さにして4~5mはありました(それともそこまでいくと竹なのでしょうか?)。
公立小学校のどこからそんなお金が出ていたのか、今から考えるとちょっと謎です。大方、生徒の中に地主の子供がいたか、生徒の中にパンダの親戚がいたか、どっちかでしょう。

閑話休題。
私が四年生のときの担任の先生はS藤先生という人で、歳も若くスポーツマンタイプで、かなり生徒に人気がありました。校内行事などでも率先して皆を盛り上げ、先生というよりは、面白い親戚のお兄さん、といった感じでしょうか。

で、そんなS藤先生のもとで迎えたその年の七月頭。今でも忘れられない、衝撃的な一言がS藤先生の口から飛び出しました。

「あ、七夕あさってだっけ」

S藤先生、あろうことか笹のデコレーションのことを完膚なきまでに忘れ去っていたのです。
改めて他のクラスを見てみれば、教室のそこかしこに飾り付けに使うと思しきカラフルな折り紙が見えますし、意味のよくわからない色紙を鎖状に結びつけたものもあります。

で、振り返って我がクラス。
もちろんそんなものはなにもない、いつもどおりの我がクラス。
今まで気付かなかったことが不思議なほどの殺風景さです。

しかも、飾り付けに使う模造紙などは、あらかじめ申請することで入手できるもの。そらそうです。12クラスも一斉に使うとなるとけっこうな量ですから。

なもので、当時の我がクラスこと4-1が手に入れられた飾り付けの材料は、白の模造紙(おそらく社会科のグループ発表などに使うもの)のみ。
そんなものがクラスにあふれたところで、殺風景に拍車がかかること請け合いです。白色であふれた部屋なんて、むしろ病室です。

当然生徒たちは不満たらたら。他のクラス、学年と比較してはため息をついていました。
それでも、学校全体の行事であるために、飾り付けをしないわけにはいきません。ただでさえ前々日までなにも準備をしていない泥縄っぷり。愚痴をこぼしつつも、皆急ピッチで飾りを作りました。
そんな生徒の鬱々とした気分を察したのでしょう、S藤先生が一緒に作業をしながら言った台詞。

「ほら、うちの今年のテーマは『simple is best』なんだよ」

と。


火に油です。

半ば逆上しつつ猛スピードで作り上げた、その飾りの数々。さぞかし粗の目立つ出来だったことでしょう。


七夕当日に飾られた12本の笹。
生徒たちがわいわい言いながら作り上げたことが見て取れるような、彩り鮮やかな11本の笹。
緑に白のみという面白みの無いシンプルというか単純というかな1本の笹。

浮きまくりです。逆の意味でしか目を引くことはありません。
クラスメートは、悲しいやら穴があったら入りたいやら、ドン凹みです。

しかし、今考えるに、もっとも穴があったら入りたかったのは、その須藤先生(あ、言っちゃった)その人だったことでしょう。担任として、いい恥っさらしでしょうから。

そんなこんなで、私の10歳の七夕は終りを告げました。


これが私のもっとも思い出深い七夕です。
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by yamada-07 | 2005-07-08 18:05 | 日記
あいも変わらず、前の席の二人がうるさかった今日のドイツ語でした。

後ろから蹴ったぐってやろうかなと思ったのも、一度や二度ではありません。

状況から察するに、どうやら女の方がはた迷惑な人間のようです。
会話の口火を切るのは、いつも女。もちろん授業には関係のないこと。バイトがどーだのテストがどーだの。あたりを憚らない声というのはあんなのを指すのでしょうか。まさか授業中の声にその形容を使う日が来るとは夢にも思いませんでした。


授業を真面目に受ける受けないは個人の自由です。ただ、その自由は、他の人の迷惑にはならない程度の不真面目さであるべきじゃないかなーと。
居眠りならいいです。鼾さえかかなければ。
メールならいいです。マナーモードにさえしていれば。
漫画を読むくらいならいいです。声を出して笑いさえしなければ。

声をひそめることなく授業に関係ない話をするってのは、自由の範疇をはみ出てるんじゃないかなと思います。

ちなみに、そんな輩が叢生しているとある講義からは、早々に聴講意欲が失せました。単位を失うことになっても、あの不快な空間にいる気にはなれません。

一番かわいそうなのは、そんな連中に付き合って授業をせざるを得ない教授の面々かもしれませんが。


とまれ、来週で件のドイツ語はテスト。もう余計な私語に心乱されることはなさそうです。



……四年にして二年生に混じって授業を受けている私が悪いわけではありませんよね?
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by yamada-07 | 2005-07-08 01:11 | 日記