by yamada-07
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2007年 10月 21日 ( 4 )

10/20 ②

小さき者へ・生まれ出づる悩み/有島武郎/新潮文庫

白樺派の有名どころの最後の一人。志賀直哉については、記事にしていないけどずいぶん前に読みました。

「私」の一人称で、心情を強く語りかけていく文体は、同じく白樺派初期の『友情』にも通じるところがあるように思えます。社会性というよりは、人間個人の生き方、心情、伝えたいことを前面に押し出している文体は、正に「前へ前へ」という力の働きを感じることが出来ます。

『小さき者へ』は、作家自身を主人公に据え、自分の子供たちに語りかける形、『生まれ出づる悩み』は創作なのか実際にあったことを基にしているのか判然としないけれど、やはり主人公は有島自身と想定して構わないでしょう。
両作品とも主人公が作家自身と考えると、作品内でいわれている言葉により力強さが増すように思われます。やはり、完全な創作よりも、現実世界との関連がはっきりと見えるほうがその主張に実体性が増すようです。
その点では、同時代の作品、『友情』と大きく異なります(『友情』は、主人公に現実との関連性を、作品だけを読む上では特に感じません)。

というか、これはWikiで調べて知ったのですが、「白樺派」と呼ばれるグループはあっても、それはあくまでサロンのような存在で、作品の方向性に格別類似性があるわけではないようですね。
志賀直哉の「小僧の神様・城の崎にて」は、武者小路実篤、有島武郎の作風とはかなり異なります。もっとも、志賀直哉は、「白樺」創刊後から数年し、武者小路実篤が提唱する人道主義的傾倒を嫌って離反していったので、特にその傾向が強いのかもしれませんし、同書も「白樺」離反寸前に書かれたものなので、もっと前に書かれたものを読んでから判断したほうがいいようですが(『清兵衛と瓢箪』あたりが比較に丁度よい時期のようです)。

有島武郎の力強い語りかけの文体は、なかなか嫌いではありません。血潮が脈打っている文章とでも言いましょうか、作者の鼓動が聞こえてくるようです。
『友情』の文体は、もっと傷つきやすい若さと潔癖さが混じっていて、主人公のtragicを気取っているかのような印象が少し気になってしまいます。
しかし、同じく武者小路実篤の『真理先生』の文章は、実に穏やかで慌てる様子のない、悠々としたものになっています。『友情』から実に30年も経った後の文章ですが、人生の年輪がにじみ出ていると感じられるのです。そのような腰の据わった文章を書いてみたいものです。

そのうちに、志賀直哉の初期の作品とともに、有島の後期の作品も読んでみたいと思っていますが、それぞれの作家に年を経たことによる文体の変化がどのように見られるのか、気になるところです。
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by yamada-07 | 2007-10-21 23:21 | 青春の一ページ

職人の技

10/21付のテレビ東京の「日曜ビッグバラエティ」は面白かった。

メイド・イン・ニッポン 世界に誇る町工場の職人魂

八時をいくらか回ってから見始めたので、最初の特集(極小豆電球)は見逃してしまったのだが、それ以降のは全部見た。食い入るように見た。


5/1000mmのレベルで、自分の感覚だけを頼りに刃先の合わせをやすりで調節する職人。

一枚の金属製の円盤を、全身の力を振り絞りながらもmm単位の厚さで変形させていく職人。

ほとんどの部品を自分ひとりで手作りし、オーダーメイドの自転車を作り上げていく職人。


世界に誇る技術水準が、ぱっと見何の変哲もない町工場に隠れている。
ロケットに使われる部品なぞ、1/100mmの世界で誤差は許されないものだが、それを手作業で生み出してしまう熟練の技術には敬意を払わずにはいられない。この領域にコンピューターが入ってこられるのは、まだまだ先のことだろう。

しかし、コンピューターの分野では、逆にこのような熟練工、人間の感覚の精緻さになんとかして追いついていこうという努力が続けられているのだろう。それを考えても、また研究者たちの熱意には頭が下がる。
それでも個人的には、人間のそのような繊細にして大胆な感覚の世界は、永遠にコンピューターには追いつけないでいて欲しいと思ってしまう。

閑話休題、彼らに共通して見受けられたのは、並々ならぬ自分の仕事に対する誇りだ。
この仕事に関しては、絶対的に自信をもってクライアントを満足させる。その熱意と自負が、画面を通してぐいぐい伝わってきた。
あと、みんないい顔をしている。単純な美醜を飛び越えて、内面からにじみ出るような実に魅力のある笑顔を見せるのだ。これが自分の人生に誇りをもてる人間の顔なのだろうか。

まだそこまで絶対的に自負するものをもてていない自分は、彼らのような笑顔に憧れざるを得ない。
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by yamada-07 | 2007-10-21 22:13 | 日記

10/20 ①

のはなし/伊集院光/宝島社

auのメルマガで、週3で配信していたコンテンツをまとめて出版された本。
「七文字以内でテーマを送って」とメルマガ登録者に呼びかけ、送られてきた言葉の中から伊集院がびびっときたものについて書いてます。メルマガ編集部のほうからは400字くらいでいいと言われていたのに、平気で2000字くらい。

「結婚式」や「エロ本隠し場所」、「嫌いな食べ物」などといったわりかし具体的なお題ならともかく「ミシン」、「路地裏」、「ピロリ菌」なんてのは、具体的であってもそうそう思い出があるものじゃない。「無神論」から面白にもっていくのは至難の技だろう。「血で血を洗う」なんか出くわすことも考えたこともなかなかないようなものだ。挙句の果てには「ん?」なんてテーマもある。そこからどう広げろと。
まあ編集者やらがテーマを決めるのではなく、伊集院本人がびびっときたものを選んでいるので、「血で血を洗う」や「ん?」でも脳裏に兆すものがあったのだろう。

全82話で、ばらつきはあるものの各話1500字前後でまとまっている。一話ごとの分量は少ないので、暇つぶしにぱらぱら読むには最適だと言っていい。
ただ、面白さとしては、以前出版されたみうらじゅんとの共著「D.T」のほうが面白かった。まあそれは本書がもともとメルマガ配信の文章と言うことで、黒伊集院を前面にだすわけにはいかなかったのだろう。多少なりとも下品な話も収録されているが、特にお子様の教育を害するほどではない。せいぜいR12だ。

「D.T」は対談およびコーナー本だったので、伊集院の書く文章を読むのはこれが初めてだ。勿論お昼のピクニックフェイス伊集院の書く文章という断りはあるだが。

伊集院は、被害妄想加害妄想誇大妄想の三大疾病を抱えているが、それが功を奏してと表現していいだろう、自分がしゃべっていることをしっかり自覚している。
臆病だから、何かを簡単に鵜呑みにすることは出来ないし、つまはじきにされると思ってしまうから、世間の風潮に簡単に乗れない。だから、ラジオのDJをしているときも、今自分が話していることは自分しか考えていないことかもしれない、自分しか憤慨していないことかもしれないと、内心常にびくびくしながらしゃべっている。それゆえ、この話を聞いてくれている人(自分の考えに「はあ?」という顔をしている人)にも誤解が極力生じないように、丁寧に(かつ面白く)話そうとするのだ。そういう点では、意外なことに内田樹氏の著作に通ずるところがある。

本書も、伊集院のそのような性格が発露しているものだと言える。読んでいて、読者に気を遣っていることがよくわかるのだ。だから話の敷居がとても低いが、裏を返せばその分物足りないところが増えるともいえる。
文字数制限のない普通の本ならば、平易さを旨としても、分量と論理展開でいくらでも深みのある文章にできるが、いかんせんこの文章の元の媒体はメルマガだ。原稿用紙三、四枚で万人に受けやすいものを書くことを考えれば、黒伊集院になれた人間のおなかを満たしきることは難しいだろう。

文章は、前歴も関係してかどこか落語的で、高座から語りかけられているような感触がある。
下品で笑える話の内容に隠れがちだが、その語り口はおじいさん的である気がする。varbalな文章なので、手ざわりという表現を使いづらいが、「おじいさんのチョッキ」とでも表現しようか。
厚手の生地で少しざらついてはいるが、温かく労わるようにこちらを包んでくれる。そしてどこか懐かしい。そんな文章。


最後になるが、どうやらこの本かなり売れているようだ。近所の本屋どこを探しても売り切れで、先日重が版出来されたことでようやく手に入った。これは「のはなし2」を期待せざるを得ない。
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by yamada-07 | 2007-10-21 01:49 | 青春の一ページ

10/19

疲れすぎて眠れぬ夜のために/内田樹/角川文庫

角川から同名で発行されていた単行本の文庫化。
好きな本は単行本で買うことを原則としているが、この本はインターネットやその他媒体で既に発表されている文章の再録本だという先入観があったので、単行本には手を出していなかった。文庫化されたので買って読んでみたら、そんなことは全くありませんでしたね。書き下ろし、というか、本人の言葉を借りれば「語り下ろし」の本のようです。

この本のテーマは、「『自分らしく生きる』という物言いはもうやめにしないか」、「身体には敬意を払うべきだ」、「金銭、社会的地位が至上の価値であるということを当為とすべきではない」、「思想には賞味期限がある」などといった、氏の著作によくみられものが散見しています。というよりは、ここ数年で出版されている上記のような氏の著作のテーマを短くまとめて、その総体として「肩肘張らずもっと愉快に生きよう」というテーマにまとめていると言ったほうが適切かもしれません。

書いてあること自体は、まあ他の著作を読んでいれば大同小異といって構わないでしょう。
それについては氏自身も作品内で言っていますが、多少の時間のずれがあるとはいえ、同じ人間が書いているのだからそんなに差が出るわけがないんです。
また、やはり作品内でいっている言葉ですが、桑田佳祐の音楽の例を引いて、ファンは作品ごとに全く別のものを期待しているわけではなく、似たようなものが微妙な差異を持って繰り返し反復されることに快感を見出していると言っています。私も、この本が今までの氏の文体、思想とは全く違うようなことを書かれていては、おそらく買ってはいなかったでしょう。『内田樹の新境地』などといった惹句には、特に興味が湧きません。

大同小異のテーマの本書ですが、それでも買って損したとは思いません。
私は氏の著作でも、身体論が中心となっているものはあまり購入していません(「身体の言い分」と「健全な肉体に狂気は宿る」だけです)ので、この作品の中で語られている身体論の話は、初見のものがいくつかありました。それ以外のテーマでも、他のものから幾分変奏したものもあります。


特に学術的なものというよりは、エッセイの類に多いのですが、氏の文章は優しく柔らかく、でも折り目正しいものであるという印象受けます。男性的な力強い語り口ではなく、本人も他の著書で言っていますが、どこか女性的、もっと言えばおばさん的、さらに正確に言えば、昔は色々学問を修めたけれど、今は結婚して専業主婦をしている、品のいい山手のおばさんのような口調が感じられます。
相手の反応を確かめながら話を展開している(これは語り下ろしなのでそれが顕著かもしれませんが、他の著作でも同様に)感覚があり、それがとても優しいのです。そうですね、「お母さんが作ってくれる玉子焼き」のような手ざわりとでもいいましょうか。あるいは、「お母さんがアイロンをかけてくれたシャツ」のような手ざわりでもいいです。とにかく優しさとぬくもりがあります。


同じく角川文庫から出版されている前著「ためらいの倫理学」は、もともと本として出版されることを全く想定していない文章が多いので(多くはブログの記事の選り抜き。その他、書評や学内報、学会誌に寄稿した文章が使われている)、非常に毒の強いものが多々あるが、本書はあらかじめ本にすることが前提の語り下ろしであるため、文章はかなりソフトに仕上がっています。
氏の考え方についても、とっつきやすいところがとっつきやすく書かれているので、内田樹入門書といえる本だと思います。
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by yamada-07 | 2007-10-21 00:53 | 青春の一ページ