by yamada-07
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2007年 12月 11日 ( 1 )

昨日モノホンの現役小説家に会ってきた(別に村上龍ではない)。

いやはや、現職の言葉、それも生の言葉の重みは計り知れないものである。

「小説家は、今はそれになるハードルはずいぶん低くなった。なるだけなら容易になれる。だからこそ、折角なるのなら満を持してなったほうがいい。小説家になったとしても、小説家として食べていくことはまた別の問題だ。小説家としての体力がなければ、小説家『である』だけで終わってしまう」

「上手い文を書く人ならいくらでもいる。小説家として大事なのは単なる文章の技巧ではなく、『自分が何を書きたいか』というもっとごりごりした、どろどろしたものだ。それがなければ、『のようなもの』以上になれない」

みたいな話を聞いてきた(実際にはもっと色々話されたが)。
特に後半は、『G戦場ヘブンズドア』での阿久田編集長の言葉、『無駄な個性など要らない。君達は君達にしかなれない。君達が書く必然がないマンガなどいらない。マンガは練習するもんじゃない。覚醒するものだ』を思い出した。


さて、その場で聞いた話自体は、既に本などで読んだことのある言説だったが、それを直接自分に向けて伝えてもらったということに大きな価値があると思う。

その人の言うことが100%正しく「小説家」という仕事の全てに通じるわけでは決してないと思うが、実際に成果を上げた人間による、小説家という仕事についての一側面の事実であることは間違いない。

聞かせていただいた話が全て実際にあったこと、実際に行われてきたことではなく、幾許かの誇張、理想が入っていたとしても、それが話の価値を損ねるものではない。そのような話を語りうる人間が実際に小説家として成果を上げているという現実が大事なのだろう。

「過去は前未来形で語られる」というが、それは理想、心情(あるいは信条)であっても事情は変わらないだろう。小説家がその場にいた俺(ととある村長)に向かって語ったからこそ、あの話はあのような形になった。その場にいた人間が違ったり、あるいはもっと他の人間がいた場合には、大きく変わることはないだろうけれど、全く同じ話は出てこない。言ってしまえば、あの話は俺(ととある村長)のためだけに産まれてきた「物語」なのだ。そう考えれば、主にその話を向けられていたであろう俺が心揺さぶられなければ、話した甲斐がないというものだ。

格別話が上手いということでは決してなかったのだがね、そういうこととはまた次元の違うことなのだよ。
貴重な体験をさせていただいた。
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by yamada-07 | 2007-12-11 20:19 | 雑記