by yamada-07
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わかってる

神様わかってるね。やっぱ四月はこういう気候じゃなきゃ。日差しはあるけど風はほどよく冷えてる。言うことはありません。

関西の方でまた30度越えという状況は黙殺中です。

好き勝手山田でした。
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↓明日はお天気悪くなるらしいですが



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by yamada-07 | 2005-04-30 15:21 | 日記

四月?

昨日今日と猛烈な暑さに襲われた日本。もう地球も終りなのでしょうか?そんな疑念が汗と一緒にわきかねないほどの暑さです。
なんですか、31℃って。なんですか、真夏日って。なんですか、妻夫木聡と柴咲コウ熱愛発覚って。いろいろ間違ってます。ええ、いろいろと。

半袖シャツにジーパン、サンダルと、なんともリゾートちっくな格好で外出していましたが、一向に差し支えありませんでした。唯一気になったのは「とてもじゃないが、四月にする格好じゃないよな」という自意識だけです。

夜になって漂ってきた空気は、どう考えても晩夏のそれ。普通九月も半ばを過ぎないと漂いはじめないものだったような。

夏は好きですが、暑いのはそんなに好きではありません。てか、今は四月です。許される気温ではないです。お天気の神様に一考を促したいと思います。罰当たりな山田でした。
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↓サンダル買ってよかった・・・



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by yamada-07 | 2005-04-29 22:53 | 日記

お買い物

新宿で、ビルケンシュトックのサンダルを買いました。
なにせ今日は暑かった。それが一番の理由です。

で、試着の際に店員さんに言われたこと。

「お客様は足ががっしりされてますので……」

素直に甲高偏平足と言ってください(泣)

山田でした。
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↓いやービルケンのデザインはかっこいいっすわ



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by yamada-07 | 2005-04-29 00:18 | 日記

面白い文章

小説や雑誌、あるいはこういったブログなどのウェブ上のテキスト。世の中には大量の文章が氾濫してますよね。こういった、ある程度の分量があり、かつそれに文章としての筋を通してるものは、面白いものとそうでないものの差が有意に出ると思います。自分の文章のことはひとまずさておき、そのような文章とはどういうものなのか、考えてみようと思います。

なにを面白いと感じるかなんて人それぞれ、個々人の趣味が強く反映することなんて百も承知。それでも、面白い、読み応えがあると思える文章とそうでない文章には、なにかしら水準の違いがあるはずです。私の考えるポイントは(とりあえず)二つ。

一つ目。まずは文章内の次元の話ですが、「その文章で使われている単語が、自分の言葉として使われているか」という点です。

文章の最小構成要素である各単語、そしてその単語群を統御する文法、さらにはそれらを文章としてまとめあげるためのレトリック。文章にはこの三つの次元がある(そして、その三つをまとめて、今は「言葉」と呼んでおきます)わけですが、「自分の言葉として使」うからといって、全く新しいものを創出しろと言っているわけではありません。そんな文章読めるわけありませんからね。未知の単語、未知の文法、未知のレトリック。いちいち文章ひとつ読むのに、杉田玄白たちみたいな苦労を負うことはありません。

世の中のかっこいい言葉、説得力のあるフレーズ、断言しうる理屈とは、ほぼ100%その前に誰かが言った(使った)言葉、いわば使いまわしです(もちろん今私がこうして断言したことも、内田樹という学者、ひいてはジャック・ラカンという学者からの孫引きです)。オリジナルな言葉と言うのは、そこまで巷間で流布されているものではありません。
しかし、それは全く問題の無いことです。私の言いたいことは、「使っている言葉が、しっかり自分の腑に落ちているか」ということです。
「腑に落ちる」という感覚はわかりますね?言葉にはしがたい感覚ですが、「身体感覚的に、自分で納得のいった状態」とでも言いましょうか。

とにかく、使いまわしの言葉であろうとも、その言葉(遣い)がしっかり自分の「腑に落ちて」いれば、その言葉は自分が発信したものとして認知されうります。
逆の文章を考えてみるとわかりますが、腑に落ちていない言葉(遣い)は、その文章の中で如実に浮いてしまいます。まさに「落ち着いて」いないのです。

無駄に小難しい単語を使ったり、目新しいレトリックを使っても、多くの場合はその箇所だけ周りとかみ合わない違和感を覚えてしまいます。何度もその言葉に出会い、使われている言葉と文脈に自分の感覚で上手く折り合いをつけて初めて、言葉はその使用者の血肉となるのかと思います。


二つ目。こちらは文章内ではなく、そのもうひとつ上、文章全体、いわば作品としての次元の話ですが、それは「読み手というものを意識して書いているか」ということです。
まあこちらはその文章を発信しているメディアにも大きく左右される話なんですけど。

私事で例えとしては不十分かも知れませんが、私はこのブログを書くにあたって、「今この文章を読んでくれている人は、私のことを一切知らない」という仮定に基づいて書いてます。もちろん現実に知り合いの人も読んでくれているだろうし、むしろそんな人々が大多数だと思います。それでも、「自分のことをまったく知らない、予備知識もない人」を読者であると設定しています。私にしてみれば、完全に「他者」と呼びうる人に、私の言わんとしていることをなるべく正確に理解してもらえるよう心がけて書いているのです。

しかし、時々見かける文章には、他人の視点を完全に排除したものがあります。メッセージの発信ベクトルが外に向かっていないのです。日記(あるいはそれを想定したブログ)ならそれでもいいのでしょうが、他人の目に触れることを前提として書かれるはずのメディアにそういう文章が書かれるのは、ちょっとがっかりすることがあります。だっておもしろくないんですもの。


まあ二つのポイントに沿って書いてきましたが、要はこれ、私が文章を書くときに注意していることです。だから、私の趣味の裏返しみたいなもんなんですよね。タイトルがまた大上段でしたけど、結局は趣味暴露のお話です。ですので、この文章がつまんねーよという意見に関しては黙殺させていただきます。

こうしたら面白くなるんじゃない?的なアドバイスは大歓迎ですけどね☆

山田でした。
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↓書くこと好きなら押してみれって



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by yamada-07 | 2005-04-28 00:59 | 雑記

ルーツ発見 その弐

先日は私の性質のルーツのお話をしましたが、今日はその第二段。

今回の性質は「酒を呑んでいる時に努めて冷静にいようとする」です。

いつごろに気づいたんでしょうかね、よく覚えてませんが、私は酒を呑んでいる最中、自分の酔っ払い加減をやたらに気にするようになっていました。そりゃあテンションを上げようと決意したときははっちゃけますが、基本的には俯瞰で自分を観てるような意識がついてまわります。てか、決意しないことには呑んでもテンション上げきれません。

世の中には色々な上戸がいますよね。笑い上戸、泣き上戸、絡み上戸……。その伝でいくと私は醒め上戸でしょうか?

で、そのルーツ。あるんです、ちゃんと。今回の原因ははっきりしてます。父親のせいです。
とは言っても、父親の酔い方がそういうタイプだったわけではありません。むしろ真逆です。恥ずかしいぐらいの絡み上戸です。

去年の夏に従兄弟の結婚式があり、両親兄姉と御呼ばれしたのですが、そこでの醜態は、今まで育ててくれてきた恩をさっぴいてもおつりがくるほどに殺意を覚えるものでした。
想像してみてください、結婚式というお祝いの席で、ほぼ初対面の女性(おそらく40代)にむかって抱きつく実の父を。これを笑って許せるほど私(と母)は寛大ではありません。ちなみに姉と兄は別の親戚と話して見てみぬふりをしていました。……薄情者どもが。

これは最近の例ですが、うちの父は昔からこんなでした。いえ、若かった分、昔の方が酷かったかもしれません。
ちょっと、そこのあなた。こんな乱痴気ぶりを発揮する酔っ払いの子供として育ってみてください。そりゃあ酒に呑まれまいと必死になりますよ。

酒はゆっくり酩酊を感じながら呑むのが一番美味しいです。ええ、それでおやじくさいとか言われても我慢します。あんな醜態さらすよりましですから。

焼酎大好き山田でした。
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↓お酒は二十歳になってから☆



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by yamada-07 | 2005-04-27 22:58 | 駄文

プレ雑記

「簡単に人に感情移入できる人間は、簡単に人のせいにできる人間だ」

こいういう一節をとある小説でみつけました。なんかうなずける気がするんですけど、理論展開が上手くできません。うまいことまとまったらちゃんと「雑記」で書きたいんですけどね。だれかピンとくるものがあったらコメントに書いてみてださい。ま、うなずけない人も多い気がする論理ですけど。

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↓ピンときたらクリッククリック



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by yamada-07 | 2005-04-27 22:14 | 雑記

帰宅時間

実に久しぶりに、八時なんていう早い時間に家に帰ってきました。私にしてみれば、まだ宵の口もいいとこ、夕日がないのが不思議に思っちゃうくらいです。

普段はサークルとバイトで夜の予定はほぼ全て埋まってしまうんですよね。前者ならば帰宅は10時ごろ、後者なら12時近く。なもんで、朝はいつも遅い。悲しいほどにいぎたないのですよ。

一日が30時間くらいあればいいなとよく思います。睡眠大好き山田でした。
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せっかく早く家に帰っても、やることはブログ・・・・・・



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by yamada-07 | 2005-04-26 21:14 | 日記

「自分探し」

ちょっと前に流行った「自分探し」ってありますよね。私、あれ大嫌いなんですよ。「本当の自分」とかの単語をきくと気分が悪くなります。

のっけから語調が荒くなり失礼しました。ま、今回はそこら辺の話をちょいと一席。


そもそも「本当の自分」てなんですか?これは好き嫌いの感情で無しに、私にはどうにも理解できないものなんです。想像力をいくらがんばらせてみても、いまいちピンとこない。
こういう言葉が使われている文脈から察するに、「理想の自分」に近いものなんではないでしょうか。
しかし、それならなぜそう言わないのか。きっと意味にそんなに隔たりがあるわけではないので、この「本当の」という部分には、使っている人たちの心理的なバイアスがかかっているのだと勝手に予測。そして、そのバイアスについて考えてみたいと思います。

「本当の」という連体修飾語、そして同時に「自分探し」という言葉。これらからイメージされることは、「まだ見つかっていない(出会っていない)理想」です(私の場合)。そう考えれば「本当の自分」てのは「理想の自分」の前段階ってことですよね。これだけ考えれば、それほど問題のある単語ではなく思えます。しかし、この具体的でない目標と言うのは、けっこう厄介なもののような気がするんですよ。

「本当の自分」が使われる状況の例をちょっと挙げてみます。

「今の私はこうして皆と笑ったりしてるけど、本当の私はこんなところにいちゃいけないんだわ」
「俺はこうして仕事をしてるけど、本当の自分はこんなところにいるべきじゃない!」

タイピングしてて苦痛でしたが、今は我慢します。

この例はさっき述べたように、「まだ具体的にはわからないけど、もっとかっこいい自分になれる」という考えの表れと読み取れます。が、同時に別の見方もできないでしょうか。つまり、「今の自分がかっこ悪いのは、周りの環境が悪いからなんだ」、という風に。
「もっと素敵な自分を見つける」というポジティブな姿勢と、自分のへたれさを周りのせいにしているネガティブな姿勢。私がこの言葉に嫌悪感を感じるのは、後者のほうを優先的に感じてしまうからなのでしょう。

そう思ってしまうのにも理由があります。私自身は、周囲の環境次第で自分の表象的な部分は無限に変化すると思っています。「表象的な部分」ときいて勘違いをしてほしくないのですが、これは心の奥深くに自我の中心があるという意味ではありません(それでは「本当の自分」と同じものになってしまいます)。表象部分、すなわち言葉遣いや身振り手振り、あるいは服装などもそうですが、それらが変わることで、人間は考え方も変わると私は思っています。映画の「インファナル・アフェア」なんかは、そいうもんなんじゃないでしょうか。さすがに普段の生活で考え方が180度変わるというほど極端なものではないですけども。
ま、なもんで、環境、周囲の人間関係が変われば、「私自身」というものも当然変わります。学校、サークル、バイト先、親類etc...。全部が異なる「私」です。ここでこうしているネット上の「私」も、現実の私とはいろいろ違います。言葉遣いなんか特に。
そして、全部が異なる「私」で、(言い方はいやですが)全部が「本当の私」です。そのある状況における「私」はその一つでしかなく、どこか他の場所に「本当の私」がいるわけではありません。
だから、「素敵な自分を見つける」なんていう行動、思いは、私の色眼鏡からはどうにも見て取れないのです。


「本当の私」があると思う人は、つまり、その状況に自分があっていないと感じている人なのだと思います。有り体に言えば、その状況がつまらない、周りのやつらが面白くない、と感じているのでしょうが、それを口に出すのは(あるいは意識化するのは)体面上憚られる。そんなことが周囲にもし漏れてしまったら、いっぺんに孤立してしまいますからね。だから、その責任を自分で過剰に引き受けようとしている。でも、自分が悪いわけではない(と思いたい)ので、能力などの欠如ではなく、今の「自分」以外にもっと有能な「自分」がいると考える。
これが「本当の自分」が使われるプロセス、そしてバイアスなのではないでしょうか。

しかし、「本当の自分」という虚構のものに現実の不適合を仮託するのは、楽なやり方かもしれませんが、うまいやり方だとは思いません。そのように考えてしまうと、他人との差異、不理解に対して、それを埋め合わせたり摺り寄せたりするのでなく、「これは『本当の私』ではないから」と切って捨ててしまう。これはコミュニケーションというものを考えると非常に危険な行為です。相手との差異を互いに理解しあうという根本的な理念が、そこには存在していないからです。たまたま初めに話したことが自分がよく理解できることだったという人とのみコミュニケーションをとっていても、それは非常に閉塞的なものです。

コミュニケーションについてはまた別の機会にもっと詳しく述べたいと思いますので、そろそろ今回の締めを。
まあ「『本当の自分』なんて存在しねえ。夢みてんな!」っていうのでもいいんですが、もそっと理性的に。

人はありとあらゆる状況で、そのためだけの「自分」があります。その状況にそぐなわさを感じても、それはたいしたことじゃありません。自分がその人たちと趣味があわないか、コミュニケーションが順調に進んでいないか、どちらかです。すべての場面に活用できる、万能で単一な「自分」なんてものはどこにもないと思います。
私としては、こういう突き放したような見方をする「自分」を一人もっておくと、便利かとは思いますけどね。

山田でした。
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自分探しの旅に出て、二度と戻ってこなかった……



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by yamada-07 | 2005-04-26 03:30 | 雑記

ルーツ発見

私には奇妙な特性があります。奇妙なのは私自身だと言う正しい指摘は、今は横においておきます。

それはともかく、その特性とは「誰かと一緒にいる時に沈黙が降りても一向に気まずい気分にならない」というものです。

大方の人は、誰かと話をしてて会話がふと途切れたときに、あまりよくない空気を感じるらしいですね。

なんで?

私は全然気になりません。会話が止まったらそれまで。別にそっから改めて話を膨らませなければという強迫観念に駆られることは皆無です。

しかし、そうでない人が世の中は大多数。↑みたいな状況になると、次第に相手はそわそわしだしてしまいます。
なもんで、誰かと二人っきりになるのはあまり得意ではありません。会話が続かないからというのではなく、会話が続かない状況に対する認識が私と相手でまるっきり違うことに違和感を覚えてしまうからです。相手は会話が無いことに焦り、私は相手が焦りだすことに焦る。だから、二人きりの会話のキャッチボールがちょっとぎこちなくなっちゃうことが、ままあるんですよね。会話自体は大好きなんですけど。

さて、こんな私の特性、当然のことながらルーツがあったんです。先日幼馴染Sの妹と久しぶりに会い話をしたときに、それが発覚しました。以下、その彼女のキーワード。


「山田君てさー、家に遊びにきてお兄ちゃんと遊んでた時に、いつも漫画読んでたよねー。それでお兄ちゃんはいつもファミコンのRPGや一人用のアクションゲームやってるし。私いつも『なんだろこの二人?』って思ってたよ(笑)」


あ……


そう、私は大昔、まだ保育園に入るぐらいのころから、友達の家に行っても本を読み続けている根暗読書大好きっ子だったのです。今から考えるとかなりの非常識っぷり。S君のお母さん、なんで注意をしなかったんでしょうか。
しかも、そんな私のルーツ形成に拍車をかけたのが、この幼馴染S君の存在。なにしろ彼は彼でゲーム大好き。しかもRPG。基本的に一緒に遊ぶ友達を必要とするゲームではないです。
そんな二人(友達同士)が幼少時代から一緒にいればあら不思議、黙ったまま一緒にいても全く気まずくならない人間が誕生します。
二人も。


稀だと思いますよ、友人が来てるのにRPGをすることに全く疑問をもたない人(たち)なんて。

やはり幼少時代に形成されるもの影響は大きいうえに根強いらしく、一向にこの特性は治る気配はありません。
ってか、俺自身が直接的にネガティブな感情を抱くわけではないので、そりゃ治りませんよね。
もういいです、「20を越えれば、人間そうそう変われない」ってのが私の持論ですから。

私を直接知る皆さん、私との会話が途切れたときでも、私は別に不機嫌になったわけではありませんよ。単に世間話が苦手なんです。そこのところよろしくです。

山田でした。
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人との会話は大好きですよ☆



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by yamada-07 | 2005-04-25 01:56 | 駄文

充実○菜

野菜汁50%+果汁50%=100%

ラベルにこう書いてありました。


ちょっと読み仮名をふってみてください。

私ならこうふります。


「やさいじる50%」


どう読むのが正しいんですかね?「じる」でいいんでしょうか。ちょっと疑問な山田です。

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「じる」かぁ……



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by yamada-07 | 2005-04-24 02:34 | 駄文