by yamada-07
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母の日

だったので、昨日のサークルのコンサートに両親を招待しました。チケットが必要なイベントなので、その分のお金(¥1000×2枚分)と息子の雄姿をプレゼントって感じです。
幸いにも優勝できたし、演奏に両親もずいぶんと喜んでくれたようです。呼んだ甲斐がありました。

でも、実家から電車で来た両親の交通費は、二人で往復約8000円。


……あれ?


気にしちゃいけません。息子とそのサークルの演奏、priceless。お金で買えない価値がある。

どこぞのコピーライターも名言を残してくれました。


余談ですが、母親の顔をメンバーに見られたときに、「そっくりだね」、「一目でわかるよ」などという言葉を皆からいただきました。母親に似てるといわれたのは生まれて初めてです。
父親、祖父似の山田でした。
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↓実は生涯最初の母の日のプレゼントかも



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by yamada-07 | 2005-05-09 15:16 | 日記

本日

サークルの本番がありましたが、みごと優勝してきました!
明治、早稲田、慶応の三校でのコンテストだったんですが、私の所属する慶応のサークルが、観客の皆様のハートをズキュンと射止めたようです。いやー、この一ヶ月間がんばった甲斐がありました。
私を直接知らない皆様にはよくわからない話になってしまったかもしれませんね。
でもいいんです。ひさしぶりにうれしかったんです。たまには大目に見てください。嬉し恥ずか山田でした。
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↓ゆーしょーゆーしょー



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by yamada-07 | 2005-05-09 01:55 | 日記

ついでに

カバンについている小さいキーホルダーはこれです。d0025054_021334.jpg







「怪傑ゾロリ」シリーズのサブキャラクター、イシシ・ノシシのどっちかです。

正確なとこはわかりません。どっちかです。


怪傑ゾロリは、保育園のころに愛読していた絵本シリーズ「ほうれんそうマン」の敵役だったんですけど、いつの間にやら独立してソロで活躍しだした、いかした悪役です(ちなみにほうれんそうマンの方は、気がつくとシリーズが終了していました)。
それで、その新シリーズとなった怪傑ゾロリのお供役として作られたのがイシシとノシシのイノシシ兄弟。投げやりなネーミングセンスが大好きです。

なにかのおまけとしてついてきたキーホルダーなんですが、カバンがあまりにもシンプルすぎたのと、昔が懐かしくなったので、思わずつけてしまいました。

うーん、きゅーと。真っ黒なカバンにちょっぴり花が咲きました。

ま、飽きれば即外される運命ですが。

非情な山田でした。
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↓てか、みなさん知ってますかね?



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by yamada-07 | 2005-05-08 00:21 | 日記

今日のお買い物

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d0025054_2373412.jpg















です。

革靴に黒カバン。そして大学四年生という私の立場を考えれば、この二点がなにを表すかもうおわかりでしょう。

そう、就活セットではありません!


…………


ええ、就活セットではないんです。
なにしろ私就活はしてませんから。

でもスーツ用に買ったのには間違いないです。
私の所属しているサークルではスーツを着て演奏する機会が非常に多く、必然的にまともなスーツセットが必要となります。
しかし、私は今日の今日まで、とてもじゃないがこんな格好をしたサラリーマンとは一緒に仕事をしたくないというような服装をしていました。
どんなかと言えば、つま先に鉛の入った安全靴のごときごっついDr.Martinのブーツ(ぶ厚いエアソール付)、ワインレッドとベージュのトートバッグ、そして普通のグレーのスーツ。

ほら、一緒に仕事したくないでしょ?

いままではそんな格好でも我慢していたのですが、さすがにもう堪忍袋の緒が切れました。私の。
占めて¥16.800。なかなかに痛い出費です。しかし、これで私も立派なビジネスマン(外見は)。いつ重役の前でプレゼンをすることになっても大丈夫です。しませんけど。

なもんで明日はサークルの本番。がんばってきたいと思います。山田でした。
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↓奇特な方は心の片隅で応援してください



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by yamada-07 | 2005-05-07 23:27 | 日記

「信じているもの」

友人のブログから着想を得て書いてみます。詳しくはこちらから。


人間なにかしら「信じているもの」ってありますよね。社会通念とかそういう話じゃなくて、もうちょっと個人的なレベルで。目標とか信念などに言い換えても可です。
モチのロンで、それらは全て個人に属すものですよね。誰が何を信じてようが、その人の好き勝手です(他人に甚大な迷惑をかけなければ、の範囲内の話ですけど)。
けど、全てが個人に属するってことは、外的な根拠が存在しないってことでもあります。最終的にその「信じているもの」を選択したのは自分なのですから、外的なものに求めちゃいけない、て方がより正確でしょうか。

でも、そうなると、その「信じていること」ってなんだかずいぶん頼りなくなっちゃいますよね。その拠り所が自分だけなんて、けっこう不安な話です。ともすれば、「信じているもの」は本当に信じるに足るものなのか、この「信じているもの」は他人にはひどく迷惑になってしまうのではないか、という考えも浮かんでしまうと思います(私なんかしょっちゅうです)。

でも、それでいいんじゃないでしょうか。

「信じているもの」を一切疑わず盲信してしまうよりは、自分でなんどもそれを省みるほうがよっぽど健全だと思います。
私の「信じているもの」は正しいと思う。でも本当にそうなのかな。誰かに余計な迷惑がかかっちゃっていないかな。ちょっと点検してみよう。
信念と疑惑の螺旋を描くことで、その「信じているもの」は「信じるに足るもの」になれると思います。信じているけど疑っている。そんな矛盾した「ねじれ」を引き受けてこそ、「信じているもの」の確かさは担保されるのではないでしょうか。

「信じているもの」の中から疑いのまなざしが抜け落ちてくると、次第にそれが意識の中で前提化されてしまいます。
前提化されるということは、それが当たり前だと思うようになるということ。そして、当たり前のことに異論を挟む人は、その人にとっては認知不可能な人になるということ。認知不可能な人とは、もはや「人」とはみなされないということ。

テロリストの論理になってしまいましたね。これがまっとうな理屈とは言いがたいですけど、そこまで的外れなわけではないかと。ちょっと怖い話ですね。


ま、最後のは極論ですけど、なにかをむやみに信じすぎるのはあんまよくないんじゃないかなぁと思います。疑うという行為は健全な精神活動だ、って誰かが言ってましたし。それでも疑心暗鬼になるのは考え物ですけどね。なにごともほどほどがよろしいようで。山田でした。
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↓だからこの文章にもほどほどの疑惑の目を向けといてください。ほどほどに



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by yamada-07 | 2005-05-07 12:18 | 雑記

ラーメン

私は東京の人間ではありません。北関東から上京してきた一人暮らし中の学生です。
東京に来ていろいろ楽しいこと、面白いこと、よかったことはあります。でも、同じくらいいやなことや我慢できないこともあります。で、その中でもトップクラスに私にとってつらいこと。それは……

東京のラーメンが口に合わないこと。

いや、ホントなんですって。なんでみなさん、あんな脂ぎった濃ゆいラーメンを食べられるんですか?胃の中であいつらはちゃんと納まってくれますか?思わずウップスになりませんか?

たいがいの「うまい店」と呼ばれるところは、一回行けばもういいです。てか、もう一度行く気力はなかなかわきません。ごく稀に、また行ってもいいかな、と思える店もありますが、それらも二回目でウップスです。

もうすごいこと言っちゃいましょうか?

幸○苑や福○んの方がよっぽど美味しいです。

それでも「ここに行かずに東京のラーメンを語るなダアホ!」という店があれば教えてください。一縷の望みを託していってみようと思います。山田でした。
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↓地元のラーメンが恋しいんさ……



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by yamada-07 | 2005-05-06 22:29 | 日記

謝辞

学生ブログランキングに登録しておよそ二週間。我が山田商店がじわじわと100位以内に侵攻いたしました。順位にがっつくわけではありませんが、上がればうれしいものです。
これもひとえに皆様のご愛顧のおかげでございます。これからも当店をどうぞご贔屓に。ぺこり。

店主山田でした。
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↓これですよ



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by yamada-07 | 2005-05-06 22:08 | 駄文

こんな時間に集金に来るんじゃねえよNHK!

夜は電気がついてるから居留守が使えないじゃないか。

テレビ見てないんだから免除してください。
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↓久しぶりにテレビを見ようとしたら、コンセントが抜けてました



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by yamada-07 | 2005-05-05 22:12 | 日記

成人

こどもの日ってことで、また軽~くからんだ話をもう一つ。

元服、割礼、バンジージャンプ……。成人したと認めるときに行う儀式が、世界にはいろいろとありますね。その年齢もばらばらで、ほとんど14~20歳の間のようです。

しかし、これを行う年齢を(その社会の中で)一律に決められる意味はあるのでしょうか。日本で「はい、成人式を迎えたから、今日から君は大人だよ」なんて言っても、なぜその儀式を越えることで大人になるのか、当人にしてみればさっぱりです。精神の成熟度合いも人によりけり。20歳を越えてもまだまだおこちゃまな人もいれば、成人式を迎える前に30代と間違われる人もいます。私みたいに。とまれ、なにやら不合理な慣習のような気もします。

どっこいそれが素人の赤坂見附。

いえ、私がプロなわけではありません。ただこのフレーズを使ってみたかっただけです。

さておき。
それは、日本のように成人式が形骸化してしまったがゆえの、順逆の取り違えだと私は思います。かっこよく言えば「因果の逆転」ですね。そう言う必要も別にないですが。

ま、どういうことかと申しませば、「大人になったから儀式を行う」のではなく、「大人にするために儀式を行う」んです。
前の雑記で「大人の条件」みたいなことを書きましたが、それはもちろん各社会で異なります。しかし、ものは違えど必ずそれぞれの社会で大人と子供を分かつものがあります。それを、「この儀式以降おまえらにきっちり適用したるけんの、覚悟しときぃ」と社会的に要請してるのです。

元服の儀を執り行うのも、余った皮を切り落とすのも、10m下に決死の覚悟で飛び降りるのも、みんな新成人に大人として取り扱うことを知らしめるためのものなのです。
儀式になにか実際的な意味があるわけではありません。むしろいりません。必要なのは、無意味なまでの祝祭性なのです。「どうすれば大人として扱われる自覚を持たせられるか」という社会的な圧力です。

だから、式に臨む際には、当然の如く新成人の方が覚悟を持って挑まなくてはいけません。それが足りないと、どこぞの市のような失態が起こってしまうのです。ま、そいう方たちは即刻成人として扱われることの重みを味わうから別にいいんですけど。


いろいろ書いてきましたが、ふと思い出したことが一つ。
そういや私、成人式出てないんですよね。

一気に説得力がなくなった感じです。山田でした。
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↓こどもの日は別に関係ないっすね……



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by yamada-07 | 2005-05-05 22:06 | 雑記

さすがに

今日は何の日か知ってます。こどもの日です。

ですよね?ね?

とりあえずそいうことにしておきますが、今日はそれにちなんで「子供と大人の違い」というものを考えてみようと思います。

別に、成人式を迎えたら大人、とか、アソコに毛が生えたら大人、とかそういう話ではありません。精神的な意味での話です。

もちろん精神的に大人と子供を分かつものはたくさんあるだろうし、人によって、とらえかたによって様々な言い方ができます。ですが、分量と私の気力の都合上、今回はその内のひとつを私なりの言い方で。

じゃあそれはなにかと言えば「恥を知ること」だと思います。
侍ですね。日本人ですね。「菊と刀」読みましたか?

しかし、
授業中先生に当てられて答えられなかった、恥ずかしい。
運動会の徒競走で転んでしまった、恥ずかしい。
学芸会の劇で台詞をかんでしまった、恥ずかしい。

そんなことは小学生でも知ってます。

では、大人が知るべき「恥」とはなにか。言ってみれば「自分ではそう思わなくても、客観的には恥ずかしいと思われること」でしょうか。

しちめんどくさいテーゼです。なにしろ、自分では当然と思っていることに疑惑の目を向けなければいけないのですから。下手に考えすぎてしまうと、怖くて何にもできなくなってしまいます。
しかし、それでも公共的な場で振舞うには、この感覚を知っておく必要があると思います。
客観的に見て恥ずかしいということを知るには、自分の視座を他者的、俯瞰的にあつらえる必要があります。自分を第三者として観る自分。自分と第三者の関係を俯瞰的に観察する自分。まるで、自分で自分の後頭部を見たい、と言うようなものです。

公共の場とは、「第三者のためにある空間」です。この場では、自分のことは自分自身で括弧に入れる必要があります(そんな「あなた」の利害は、自身を括弧に入れた第三者が考えます。このように、公共の場での個々人の利益は、相互的に担保されています)。それゆえに、自分の行動を第三者的に見ること、「恥を知ること」が求められるのです。

上にも書きましたが、これは考えすぎると精神を患いかねないもの。四六時中頭に焼き付けておくほどではないですが、三五時中は頭の片隅にちょこっと置いておきたいなぁ、と。


裏を返せば、子供とは「公共性を省みないもの」ということになります。なんだかずいぶんとありふれたテーゼになっちゃいますね。当たり前のことは、長く語り継がれているがゆえに当たり前なんでしょうか。

ちなみに、「恥を知るものが大人」というテーゼにおいては、「大人と胸をはって堂々と自分でいえる人」というのは、たいがいの場合、そういう人は大人とは言いがたい、という結論に帰着しちゃいます。
私はまだまだ大人ではありません。早く堂々と大人と呼べる(呼ばれる)人間になりたいものです。おこちゃま山田でした。
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↓毛は生えてますよ



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by yamada-07 | 2005-05-05 13:07 | 雑記