by yamada-07
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プロフェッショナル

今日一緒に飲んだ友人の、心に残る一言。

「自分の快をわかってそれを増大させられる人が、プロフェッショナルになれるんだよ」

なかなかに含蓄深い言葉です。


自分の快を理解しそれを増大させるということは、行動の方向性がはっきりしています。方向性というか目的というか。
目的がはっきりしているということは、自分が何をしたくて、それをするためにはどんな技能が要求されるのか、どんなハードルが待っているのかということに対して、具体的な想像ができるということです。
そしてなにより、その想像をめぐらせることに愉悦を感じられるということです。

想像をめぐらすことで愉悦を得て、実際に行動に移すことで快を得られる。
そのような人こそ、プロフェッショナルと呼ぶにふさわしいのかもしれません。

ここには実際的な技能の話はないですが、それはもおそらく事後的に付随してくるものなのだと思います。
「好きこそ物の上手なれ」みたいなもので、好きでやってるうちに技能面が上達し、また上達できるように努力をする。そういうことなんじゃないでしょうかね。

そうなると、「技能の低いプロフェッショナル」とうものも稀はに存在するということになります。

でも、それはそれでありなんじゃないでしょうか。

私たちがプロフェッショナルと呼べる人の何に感動するかといって、技術的なものもさることながら、プロフェッショナルが活動しているときに発している「快の空気」のようなものがあると思います。

簡単に言ってしまえば、「楽しそうにやってるからこっちも楽しくなる」ってことです。

特にミュージシャンなど、その活動している瞬間をオーディエンスに見せる人の話ですが、プロフェッショナルがまとっている空気は、その場所の中で感染します。
明るい曲を陽気に演奏している時、会場は楽しげな雰囲気に包まれ、沈鬱なバラードを物悲しげに演奏している時、オーディエンスの眼には涙すら浮かびます。
それは、演奏しているプロフェッショナルの空気が会場に蔓延していることに他ならないのです。


何が楽しくて、何が楽しくないか。
それらをしっかり意識的に言語化できるのは、けっこう大事なことなんじゃないかなと思います。
できた方が人生楽しみやすいでしょうしね。


なんちゃって。
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by yamada-07 | 2005-07-31 00:55 | 雑記

梅雨もあけて、台風も去って、もうそろそろ夏も本気を出してきそうな感じです。

さて、そんな暑さにうだるばかりでは能がありません。
夏を乗り切る何がしかの方法を、みなさん一つは持っているでしょう。

で、今日聞いてみたいのは、「夏の暑さはこれで乗り切れ!あなたのわたしの夏☆定番曲」です。

CDTVあたりでやってるであろう企画ですが、それの草の根バージョンですね。
レギュラーの方でも、たまたま見てくださった一見さんの方でも「私は夏にこれを聴く」という曲があれば教えてください。曲名だけでも結構ですし、その理由なんかも軽く書いてもらえれば嬉しいです。

ちなみにわたしはThe High-Lowsの「夏なんだな」です。
確か去年か一昨年あたりにポカリのコマーシャルで使われてたので、一度は耳にしたことのある人も多いことでしょう。

ポップで軽快な夏らしい曲調もさることながら、田舎の小学生の夏休みを彷彿とさせる歌詞がまたキュート。思わず太陽の下で遊びまわりたくなること請け合いです。


ま、そんなこんなで、気が向いた方、よろしければ書き込んでみてください。
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by yamada-07 | 2005-07-30 01:08 | 駄文
台風一過、吸血鬼でなくとも太陽にひるんでしまうような快晴の下、いかがお過ごしでしたでしょうか。
私こと山田、いつものように楽器を吹いてバイトをして、ほとんど陽の光を浴びずにすごしていました。

で、居酒屋でバイトしている私ですが、今日はキッチンの料理長もホールの店長もいない、すなわち、一番の責任者がそろっていないという状況でした。

そのせいかどうか、まだ新人の多いホールでミスが多発。
さらには、営業後にかかってきた社長からの電話(特に用事がなくてもかけてくるようです)で、ホールの今日唯一の社員であるO君が怒られてしまったようです。

このO君、元々はバイトの人間で、社員になってまだ三ヶ月弱の若葉マーク。
バイトとして入ったのは二年前の冬、私より数ヶ月遅れての勤務スタートです。でも、年齢は一緒だし、ほぼ同期といっても差し支えない人間です。

そんな彼が社長に怒られ、「なんでおれが怒られなきゃいけないんだよ~」と嘆いていました。
一方私はと言えば、そんな彼に同情のまなざしを送りつも、お疲れビールをごくごく飲んでいました。

ちょっと、いやかなり薄情な態度かもしれませんが、それはそれとして、彼の嘆きが少々気にかかりました。


勤続年がちょっと長いとは言え、私はアルバイト。
まだぺーぺーとは言え、彼は社員。

かれは社員としてそれ相応の賃金を得て、私はバイトとしてそれ相応の賃金を得ています。

彼は社員がゆえに、それ相応の待遇(毎月定期的にとれる休みとか、ボーナスとか、保険とか)をうけていますが、その待遇を得るのと引き換えに、アルバイトにはない「責任」を負っています。

アルバイトと社員、あるいは社員の中でも上司と部下。それらで賃金などの待遇が異なるのは、ひとえに、ある問題が発生したときにどの程度まで責任をとれるかにかかっていると思います。
個々人の能力など二の次です。
バイト、あるいは部下のヘマに、どれだけ有責性が発揮されるかで、その人の上に立つ資質、および待遇が変わってきます。

今日は店長がいなかったため、唯一の社員であるO君がホールの責任者。彼より年上の人もいましたが、その人はアルバイト。決して彼以上の責任を負うことはありません。というより、いかなる問題であれ、今日は最終的には彼がすべて引きうけざるを得ないのです。

O君が漏らした「なんで俺が怒られなくちゃいけないんだよ~」という嘆き。
今日に関しては、君が怒られなくちゃいけないんです。
それが社員、上司、責任者の責務のはずです。
それは年齢だとか、社員になってどのくらいだとかは関係なくわかっていた方がいいことかと思いました。


しかし、社会にでるとか人の上に立つとかってのは、どうしたってストレスフルなものになるのだなーと思いましたわ。
O君には、明日元気に出勤してきてほしいものです。
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by yamada-07 | 2005-07-28 01:50 | 雑記

不死身の花

という歌があります。私の大好きなハイロウズの中でも、指折りの好きな曲です。
ちょいと長いですが、その詩を抜粋してみます。


『真空の闇に咲いてもよかった
一滴の水も欲しがらないで
愛されないのは生き続けるから
愛されないのは枯れないから

積雪の下に 氷の下に
暖かい春を待ってはいない
永遠にずっと変わらないなんて
燃えないゴミと一緒じゃないか

戦場に咲いてしまった
銃声を聞いてしまった
何一つ選べなかった
戦場に咲いてしまった

不死身の花

さようならが寂しくないなら
手放す時ためらわないなら
会わないほうが すれ違うほうが
手に入れてしまわないほうが

戦場に咲いてしまった
銃声を聞いてしまった
何一つ選べなかった
戦場に咲いてしまった

不死身の花』

こんな歌です。


この曲が発信しているメッセージ、それはすなわち、

「終りがあるからいとおしい」

に他なりません。


どんなにきれいなものでも、どんなに価値のあるものでも、それが絶対に壊れない、絶対に失われることがないものであるとしたら、それが発する魅力はいっぺんに色褪せてしまいます。

枯れない花を手入れする気にはならないし、砕けない古伊万里を大事に扱うこともありません。何を言っても絶対に起こらない恋人に対して、どうして気を遣うことができるでしょう。

花は散ってしまうからその咲いている一瞬一瞬を愛でるし、たやすく割れてしまう陶器だからこそ赤子のように大事に扱います。いつどんな弾みでどう転びうるかわからない人間関係がゆえに、人には礼儀をもって接するのです。

私が最近買ったサックスことダイナモですが、練習を終えるたびに掃除をし汚れを拭いてあげます。
最近、一部ラッカーが剥げている箇所を発見し、とてつもない衝撃を受けました。剥落が目立ちやすい色だし、ある程度はしょうがないこととは言え、それでもショックは大きいです。

もし仮にダイナモが、どんなに乱暴に扱っても調整が狂うことなく、ラッカーも落ちず汚れもしなかったら、こんなに大事にすることはないし、こんなに愛着が湧くこともないでしょう。
とてつもなく繊細な扱いを要求される代物だからこそ、こちらも相応に思い入れが増えるのです。


絶対に変わらない愛だとか、絶対に壊れない友情だとか、絶対に枯れない花だとか、絶対に狂わない楽器だとか、そんなものはいりません。

変わりうる愛、壊れうる友情、枯れうる花、狂いうる楽器。
あらゆるものは、その非不変性がゆえに、大事に愛しく思えるのです。

「さようならが寂しくないなら 手放す時ためらわないなら」、そんなものはなくてもいいんです。

そんなことはないもの(者、物)たちが周りにある幸せに感謝です。
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by yamada-07 | 2005-07-27 01:15 | 雑記

台風の夜にて

昼からバイトをして、夜にはバイトの友達と酒を飲んで、その後にビリヤードをして。

うわぁ、普通の大学生みたいだ。



ともあれ、とっても楽しかったお酒&ビリヤードでした。
そんな機会を作ってくれた台風に感謝です。


正味の話、バイト関連の人間と遊ぶことってほとんどないんですよね。
連絡先を知っている人も二人しかいなかったし。本当にお前は二年半以上も働いてるんかって話です。

で、今日は二人も連絡先を聞くことができました。
携帯のアドレス帳の「店」カテゴリーが一気に倍です。わお。


大学生っぽく遊ぶって楽しいなーと今更ながらに悟った、大学四年の夏です。
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by yamada-07 | 2005-07-27 00:31 | 日記

うるさい声

電車の中で、見ず知らずのカップルがしゃべっていました。

ヴェローチェで、見ず知らずの三人組がライブの曲の確認をしていました。

学校で、見ず知らずのオケ連中がコンサートの打ち合わせをしていました。


上の三つの場所では、もちろん他にもしゃべっている人がいました。
しかし、私にもっとも耳障りに聞こえてきたのは、上の人たちでした。


なぜ彼ら彼女らの言葉が、優先的に私の耳に不快に届いたのか。


それは、彼らの声が、もっともあたりを気にしていなかったからです。

単純な声量の差ではありません。似たような声量で、もっと私の近くでしゃべっていた人がいたにも関わらず、彼らの声の方が私にまでよく届いたのです。

電車内。
喫茶店。
学校のラウンジ。

不特定多数の人が集まり、かつ限定性・閉鎖性が高い場所は、公的な性質を帯びる度合いが高くなることを考えると、これらの場所は公的な場所であると言えそうです。

公的な場所では、もちろん各人の私的な性質を抑制することが求められます。
それゆえに、その場所の公的な属性は保証されるのです。

私的性質の抑制。
簡単に言えば、周りの人に配慮をするってことです。
ここは自分たちだけが占有している場所ではないと自覚することです。

もっと具体的に言えば、声のトーンを普段よりワンランク落とすってことです。

「周りに人もいるし、ちょっとは声をひそめとこうかな」

このような配慮がなされた声は、単純な声量のレベル以上に、周りの耳に届くレベルが下がります。
周囲を憚る気配が、声の中に必ず見出されるのです。


逆の例として、まだ幼い子供のことを考えてみてください。
幼児の笑い声や赤ん坊の泣き声というのは、その声量如何に関わらず心をささくれだたせます。
彼らは、まだあたりをはばかるというところまで考えが及びません。
自分とすぐ近くの既知のもので世界が完結してしまっているからです。未知のものは「存在してるけど存在しない」というようなくくり方で把握されています。

それゆえ、彼らの声は容赦がないのです。
既知のもの(母親などが特にそうですか)に届けばいい。未知のものは存在してるけど存在してないから、この声が聞こえていようがいまいが関係ない。
だから、彼らの声は無方向にやたらめったら飛んで行くのです。


言っちゃえば、耳障りな声ってのは、その当事者たちのレベルが幼児と大差ないってことですかね。うわ、言っちゃった。


とにかく、公共の場ではほどほどの声でしゃべってもらいたいもんです。


あとで我がふりを省みまくってみますので、今日の暴論はまあ勘弁してつかぁさい。
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by yamada-07 | 2005-07-26 00:28 | 雑記

眠気の罠

今日は近所のヴェローチェで勉強してきました。

高校の頃は「勉強は自分の部屋が一番はかどる。他人の眼があるところでやっても能率があがらない」と主張していた私。
しかし、いつの頃からか、喫茶店で勉強するのが一番はかどりそう、などと宗旨鞍替えをしてしまっていました。


いったいなにに起因するものやらと思ったら、はたとひらめきましたね。


最近の私、家で勉強しているとすぐに布団に横になっちゃうんです。


大学生活をだらけにだらけて過ごしてきたツケなのか、どうにも睡眠大好きっ子になってしまっていました。
いえ、睡眠が好きなだけならいいんです。問題は、布団を見ると寝転んでお昼寝をしたくなるという、のび太君よろしくの性質です。
しかも、最近は遅く寝て遅く起きるという(午前三時過ぎに寝て、正午近くに行動を開始するのがデフォルト)、完全にバイトに特化したような行動時間。とてもじゃないが、受験生の生活ではありません。


しかし、私は人目があれば、めったなことでは寝ることはない、という性質もあります。
徹夜明けでもない限り、帰省中の電車(片道約二時間)の中でも眠ることはありません。他人を見たら泥棒と思えと育てられたせいでしょうか。いえ嘘です。うちの親はそんなに猜疑心の強いほうではありません。

つまり、どんなに眠くても、他人の眼があれば眠らない。ならば他人の眼があるところで勉強すれば、睡眠欲求を無理矢理にでも抑えつけられるのでは。


そんなこんなで、喫茶店が受験勉強の場所になりそうな今日この頃です。


しかし、高校生ぐらいの自分は、なぜあんなに睡眠を必要としなかったのだろう……。
午前二時前に寝て、七時に起きて、九時から四時まで居眠りせず勉強をして、うちに帰ってから勉強をして……(以下略)のような生活ができていた(四年前の)受験生時代が輝かしく思えます。

シェーン、カームバーック!!
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by yamada-07 | 2005-07-25 22:46 | 日記

ラジオ、本の面白さ

メディアの発展が著しい昨今。街頭テレビに人垣ができていたかつてとは隔世の感があります。
いや、当時存命だったわけではないですけど。

情報を流通させる物質的な媒介のさきがけは、15世紀あたりのグーテンベルクの活版印刷まで遡りますかね。彼の発明により、同時に、大量に印刷物を作れるようになり、それが聖書の普及を促したという歴史背景があります。
物質的なメディアの第一歩は新聞(文字のみ)ということでしょうか。
そこから、カメラ・オブスキュラから始まる映像投影技術、モースからなる電信技術など、距離的、質的ともに、メディアは発展を遂げてきました。
さらにはそれらが複合された、写真付新聞、ファックス、テレビ電話、インターネットなど、情報の伝達技術は日進月歩の勢いで成長しています。


単純に情報を伝えるだけならば、(基本的に)文字だけのメディアである新聞や、音だけのメディアであるラジオより、それらの複合体であるテレビの方が、メディアとしての利用価値は高いはずです。
しかし、それにも関わらず、相変わらず皆新聞をとっているし、ラジオが消えてなくなるという話も寡聞にして知りません。各世帯のテレビ普及率がほぼ100%の近いであろう現在日本、新聞、ラジオ、あるいは本などの単一メディアは姿を消してもいいはずです。
何ゆえに、これらの比較的不自由なメディアはいまだに存続し続けているのでしょうか。


その答えは、これらメディアの、正に不自由さにあると思います。
文字だけのメディアである本(特に小説などの類)、音だけのメディアであるラジオ。これらのメディアから得られる情報は、文字という視覚情報だけであり、音声という聴覚情報だけです。
それゆえに、ここから得られた不完全な情報を、情報の受信者である読者、リスナーは自分なりに構成しなおさなければいけません。
文章から読み取れる情景を脳裏に描き出し、耳から聴こえてきた声からパーソナリティの表情を想像し、そこに受信者固有の世界を生み出すのです。
そして、この「個々に異なる固有の世界の創造」という過程こそ、単一メディアの真骨頂であるといえましょう。
その世界は、受信者の状況、考え方、気分などで姿かたちを変えていきます。気分の高揚したときに聴くラジオドラマと落ち込んだときに聴くそれとでは、瞼の裏に浮かぶ情景は違うだろうし、数年前に読んだ小説を改めて読み返してみたら、また別の面白さがあった、というのは身に覚えのある話だと思います。

逆に、テレビのような映像と音声のハイブリッドメディアでは、そのような想像(創造)性が介入する余地が極端に少なくなってしまいます。良くも悪くも、提供される情報が具体的なのです。
昨今は、娯楽番組でテロップが流されることが非常に増えていますが、それも情報により具体性を増している一例だと思います。要するに、「ここが笑いどころ」というのを発信者サイドが具体的に決めてかかって情報を送り出しているのですから。

もちろんハイブリッドメディアの利点として、情報が速やかに伝達されうる、というものがあります。
視覚聴覚両方から同時に情報を得られるのですから、単純に単一メディアの倍の情報量を同じ時間で受信できることになります。
それゆえに、ニュースなど、具体的かつ可及的速やかに発信する必要のある情報にとっては非常に有用なメディアであるといえます。


依然生き残っているとはいえ、単一メディアが下火になっている理由に、発信者側の技量がハイブリッドのそれよりも高く求められるということがあげられると思います。
単一メディアは、受信者側に想像の余地が残されているということは、それは裏を返すと、想像するだけの材料がなければなにも世界が広がらない、ということになってしまいます。
十分な量の情報を的確に正確に発信する。
簡単なようでいて非常に難しいこの技能を所有するひとは、技術の発展、利便性の増加と引き換えに、確実に減ってしまったことでしょう。
視覚聴覚の同時発信は、発信できる情報が非常に多いため、逆に受信者側の解釈技術に依存するところが少なからずあります。言ってしまえば、発信すれば受信者任せでいいのです。

このようなプロ的な技能をもつ職人の減少と共に、単一メディアは減衰していったという背景もあることでしょう。


しかし、いまだに残っているそんなプロたちの仕事に敬意を払いつつ、本を読みラジオを聴き、有意義な娯楽として楽しみたいと思います。


なんか論文みたいになっちゃいましたね。
なにが言いたいかといえば、「伊集院光は面白い」と「『エンタの神様』はさっさと終わってほしい」の二点に集約できそうです。
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by yamada-07 | 2005-07-25 01:24 | 雑記
人を嫌うのってけっこう疲れますよね。

同じ心の疲れでも、「かわいいあの娘を見てるだけで胸キュン☆もうドキがムネムネ」みたいな愉快な疲れとは天と地ほども違います。
「胸キュン」が運動した後の爽快な疲れだとしたら、人を嫌う疲れは心に沈殿する澱みたいな疲れです。徒労のような疲れと言ってもいいですが。

けれど、誰も嫌わずに日々を過ごすなんて、そんな偉業を成し遂げられるのは聖人君子か能天気馬鹿一代か、どちらかでしょう。両者紙一重なとこありますし。

なもんで、私は嫌いな人、あるいは接して疲れそうな人とは没交渉が基本スタンスです。
無理に接してもお互い楽しくなかろうし。
なにかの弾みでうわさなどを聞いても、それをネタに陰口を叩くなど真っ平ごめんです。カロリーとボキャブラリーの無駄遣い以外の何物でもありません。そんな暇があるなら、かわいいあの娘を思い出して、ドキをムネムネさせてる方が三兆倍マシです。

時間と体力は有限なんですよね。
ネガティブなことに頭を悩ませざるを得ないときというのはもちろんありますが、そのような時間を減らし、楽しい時間を増やすためにおつむをよくしておきたいもんです。
というか、頭がよくありたい理由なんてそれで50パー超えますね。

光陰矢の如し。諸行無常。一寸先は闇。花より団子。

昔の人はいいこと言ったもんだ。
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by yamada-07 | 2005-07-25 00:22 | 駄文

(怒)

東京ガスなんて潰れてしまえばいいと本気で思った、バイト帰りの午後11時30分です。


ぬっ殺す。
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by yamada-07 | 2005-07-24 23:40 | 日記