by yamada-07
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<   2006年 03月 ( 15 )   > この月の画像一覧

卒業しないけど卒業旅行

明日から、隣のひかり君と車で西日本へ旅立ってきます。

群馬の私の実家からまずは中山道にでて、長野へ。決まっている予定はこれだけです。むしろこれを予定と言い張るのは、予定に対する冒涜といえるでしょう。それだけ無計画に出発します。29日から1日まで、四日間でどこをどういう風に旅するのか。どこでなにを食べるのか。どこでなにが見られるのか。とっても楽しみです。

去年は桜前線を追いかけて宮城まで行きましたが、今年は桜前線を迎えに南へ。迎えるまでもなく東京は既に開花していますが、それは脇においといて。

免許を取っておいてよかったと心から思います。姉貴の車を借りて、普段はあまり聞かないJ-POPをBGMに、いかにもドライブな空気を盛り上げていきたいと思います。スピッツとPUFFYはナイスチョイスだ。

なるべくいいお土産話がもってこられるような旅にしたいと思います。ではみなさん、ボン ボヤジ。
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by yamada-07 | 2006-03-28 23:52 | 日記

ナノなの

先代のポータブルMDプレイヤーが壊れてはや半年。いい加減耳元がさびしくなってきたので、新機種を買うかピアスをあけるか特に迷わず、新型ポータブルミュージックプレイヤーを買いました。
とは思っても、テープ→MDでポータブル機器の流れが止まっている私。最近のi podやらHDDやら、なにがどう違ってどういいのかまるでさっぱりわかりません。みんな違ってみんないいなどと金子みすずで逃げるわけにもいかず、さすがにはたと考え込んでしまいました。
とはいえ、最近の私のモットーは「悩まない、後悔しない」。進歩を一向にしそうにないモットーではありますが、それなりに生活はうまく回ってくれます。なので、悩みはしても悩みこむところまでは行かず、ビックカメラでの店頭でのなんとはなしの気分により、i pod nanoを買いました。

これがなかなかsmall is beautiful。小さいことはいいことだ。手のひらサイズがうれしいかわいさなんです。購入したものは4GBのもので、およそ1000曲はいるそうな。小さいのに力持ち。山椒は小粒でもぴりりと辛い。現代技術の一端を垣間見た気分です。
喜び勇んでi tuneをインストール。i podに曲を移そうとしましたが、あにはからんや、パソコン本体のUSBに不具合が見られるようで、うまいこと接続してくれません。成功率は三回に一回というところでしょうか。祈りをこめて機械を動かすなど、ファミコンで終わったと思っていたのに……。
そんなこんなで、せっかく買ったnanoもまだアルバム四枚分ほどしか曲が入っていません。はやくそのスペックをフルに活かせるよう、外付けのUSBランポート買ってこよう……。
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by yamada-07 | 2006-03-28 19:15 | 日記

私とは関係のない話

昨日は大学の卒業式だったそうな。

ま、その時間バイト先で労働に勤しんでいた私には関係のない話な訳で。

深夜、バイトが終わると、外には卒業を祝う学生で溢れていた。とても賑わっていた。
死ねばいいのに、と呪詛を呟きつつ、なんだか腹が立ったので、卒業とはまったく関係なくバイトの連中と飲んでみた。
おかげで、半二日酔いの状態で今日もバイトで労働に勤しんできた。

がんばったぞ俺。もう半年頑張るんだ俺。
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by yamada-07 | 2006-03-27 00:33 | 日記

彼女について

昨日一緒に飲んだ女の子について。

馬場にある音楽の専門学校に通う19歳。四月から専門二年生。九州から上京、親から二人姉弟で親から仕送りはもらわず、もらっている奨学金10万円は全て分割払いの学費へと消えていく。バイトは週に二度ほどしか入っていないため、月に稼ぎは三万程度。しかし、早稲田のインカレのバスケサークルに入っているため、飲み会、合宿などの遊興費は人並みに財布から出て行く(実際今日から合宿とは名ばかりのスノーボードに行っているらしい)。幸い今下宿している寮では朝食夕食が出るので、食事に事欠くことは早々ないようだ(それでも長期休暇の時期になると食事が出なくなるらしい)。
専門学校なので、暇を持て余している大学生と違い、朝は七時には起き、学校も四時過ぎまであり、さらには授業時間外にするべきことも多い。長期休暇の途中でもイベントの準備のために学校に来なければ行けないこともよくあるという。そのためバイトにもあまり入れず、金欠が解消される見込みは今のところない。

しかし、それでも、あるいはだからこそ、彼女は毎日をアクティブに過ごしている。学校に行って、サークルをして、バイトをして、彼氏と遊んで、友達と遊んで。聞いてる私がくらくらしてしまうほどの行動量である。

彼女曰く「私に与えられた学生の時間は二年間しかないんだし、社会に出たら自由にできる時間はすごく少なくなってしまう。だから、学生である今のうちに学生らしいことをいっぱいして楽しんだ方がいいでしょう」と。

今まで似たようなことを言う人間(すなわち、「学生のうちにできること云々」、「楽しいことをしたい云々」)はしばしば出会ってきた。人とのコンタクトがあまりない非社交的な私の交流関係の中でも、少なからず聞かれてきた発言だ。しかし、それをきちんと覚悟した上で実行してきている人間には初めてお眼にかかった気がする。これまで出会った連中は結局のところすねっかじりの半端ものばかりで、何もやることがないから「学生らしく」だの「楽しいことをしたい」だの、ある種抽象的で響きのいい言葉に逃げ込んでいるように思われた。自分で何も背負うことはなく、自由と無責任を履き違えて遊んでいる。そんな感じ。社会に出た後に学生時代遊んでいたことを後悔して、『大学時代はなにもしてこなかったなぁ』って言いそうな、そんな感じ。

どうやら青春を謳歌するにも覚悟と心意気が必要なようだ。それを昨日教わったような気がする。
久々に人から感銘を受けたな。新鮮。
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by yamada-07 | 2006-03-24 01:21 | 駄文

やることのある一日

九時に起きて午前中から活動し昼寝もせずに午後からバイトをして日付が変わってから帰ってくる俺がもう眠いといっても誰も責めやしないだろう?

まあそんな感じの、一日中予定がきっちり入っている日でした。
午前中はバンドの練習、午後二時からバイト、少し早く暇を出されてホールの女の子と一時間ほどお酒を飲む。

お、意外といい日なんでないの?
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by yamada-07 | 2006-03-23 00:47 | 日記

誰が悪いの?

先週の木曜にあった小5の自殺事件について一言。

まずはこの記事

家族ではなく叔母が会見を開いてるところにまず疑問は感じるのですが、とりあえず置いておきます。おそらくしゃしゃりたがりのろくでもない女なのでしょう。

より気になるのは、テレビのニュースなども見た上で感じる遺族側(というか叔母?)のきわめて他罰的な物言いです。
「学校側の対応が悪かった」、「担任教諭に暴力行為があった」、「なぜ飛び出していったときに家に連絡をしなかったのか」等々。
なるほど、ある事件が起こったときにその要因をリストアップし解決策を考えるのは建設的なことでしょう。その後の防止にもつながります。
しかし、彼女の言い方は、明らかに責任転嫁のニュアンスが強いのではないでしょうか。

「学校側の対応が悪かった」、「担任教諭に暴力行為があった」、「なぜ飛び出していったときに家に連絡をしなかったのか」⇒「だから男児は自殺した」⇒「だから学校側が悪い」=「私たちは悪くない」

このような論理展開がなされているような気がします。

およそあらゆる事象において、単一のファクターだけが原因となってその事象が起こりうるということはありません。様々な側面の様々なファクターが複合的に重なり合って結果が導き出されるのです。
当然今回のケースでも、学校側の対応のみに原因が求められるわけはなく、家族側にも何がしかの要因が存在しているはずです。その点を省みることなく学校側を悪者に仕立て上げようとするこの叔母の姿に、今の日本の悪しき点が見え隠れしているように思えます。
「私が悪い」とは少しも思わず、自分が正義の側に立っていることを自明とみなしている態度。いけ好かないですね。「清廉潔白な自己」を盲信する人間に未来はないと思うのは私だけでしょうか。

あーあ。死ねばいいのに。
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by yamada-07 | 2006-03-20 23:19 | 雑記

不思議不思議

WBCのイチローに違和感を覚えているのは私だけではないはずだ。

なぜあんなにパトリッオット?

なぜ妙に偉そう?

疑問はつきない。
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by yamada-07 | 2006-03-20 22:34 | 駄文

マグロを食べに

遠く神奈川は三浦半島の三崎港にまで行ってきました。
一緒に行ったのは二つ上の社会人のお友達。歳は二つ上ですが一年浪人しているので、社会にでたのは一年前。なんにせよ、既に月給をもらっている立派な公務員です。そう、定給取りです。そんな友人が、院受験に失敗して大学にもう半年行くことになったこの「恵まれない山田」(当人談)に愛の手を差し伸べようと、「美味しいものを食べようツアー2006・春」を企画してくださったのです。

三崎港とはこの地図の三浦市の最南端(城ヶ島まではいきませんが)。都内とはいえ千葉よりに住む私には結構遠い距離。さらに言えばその友人が住んでいるのは大宮。もっと遠い。そんな二人が昼食を食べに三崎港まで行こうと思えば、当然普段の私の怠惰を絵に描いたような生活リズムではよろしくありません。なにしろ品川10:03発の京急線に乗ろうという計画。普段の私なら夢と現の端境に漂っている時間。うん、怠惰。万全を期すなら日付が変わる前に布団に入るべきところを、午前三時近くまで大学の友人たちと雀卓を囲む始末。おまけに2千円負け。くそう。その結果、四時間半の睡眠で品川まで駆けつけることになりました。自業自得ですがなにか?

品川~三崎口は、京急線特快で一時間強。意外に近いですね。まあ店に行くまで駅からさらにバスで20分。交通費が往復でおよそ2500円。……まあまあ。

考えてみると、海が触れられるまで近くに見えるところに行くのは相当に久しぶり。5年は遡れそうです。心配していた天気も、雲は多いものの晴れ間もところどころで見られ、吹く風も穏やか。春近しです。
行ってきたお店はこちら、くろば亭。写真の野趣あふれるおじさんは店長です。

以下、頼んだ料理と感想
・寒ブリのお刺身(考えてみると、マグロの刺身を食べませんでした。しかし後悔を一切思わせないいい刺身。舌の上で少し甘いようなブリの旨みがじんわりと広がります)

・地魚のからあげ野菜あんかけ(今回カウンターに座ったんですが、その前にごっそり既に一度揚げてある魚がずらり。それを再び揚げて野菜たっぷりのあんをかけて、かりかりの魚をくずして食べます。野菜のしゃきしゃき食感と魚のばりばりの食感がミックスして食べ応えばっちり。)

・おまかせサラダ(これはけっこう普通。あえて言うことはなし)

・マグロの血合いカルビ焼き(血合いを焼肉のカルビのようにタレにつけて焼いてあります。臭みはびっくりするほどに皆無。米が進む進む)

・地魚のあら煮(本当は時間がなくて注文できなかったはずが、他の注文の分を少し多く作ってしまったので二人分確保してもらえました。魚の旨みがぎっしり。やはり米が進む)

・マグロの皮と白子の酢味噌ポン酢和え(こりこりした皮としゃっきっとした白子に酢味噌ポン酢が好適。白子がだめな人でもこれは食べられると思います)

・ヅケマグロ丼
・釜揚げシラスマグロ丼(二つともがっつりの量。普通に考えると、これだけで昼食は済ませられます)

あとは生ビールに杏サワー。

海の幸は鮮度が命だなぁと思いしらせてくれる、非常に美味しい料理ばかりでございました。
どれもこれも生臭さを微塵も感じさせない、旨みたっぷりの代物です。口中に福を囲うが如しとはこのことか。

店は想像していたより狭く庶民的ですが、活気がありホールのおばちゃんもちゃきちゃきしていて好印象です。壁のほうにはサインがずらずらと。ま、そんなものより目の前の料理に夢中だったので、有名な人がいたかどうかは知る由もありませんが。

小一時間ほど箸を動かし店を後に。なんと社会人の友人がおごってくれるというこの太っ腹。感謝多謝。


食後は腹ごなしもかねて近くの海べりをぷらぷらと散歩。ちょうど晴れ間も見えてきて暖かい風もそよそよと。絶好の散歩日和というやつです。空を漂うカモメ、海と空の青を背景にそびえる遠くの白い灯台、釣りを楽しむ老人と孫、静かに打ち寄せる波。ああ平穏とはいいものだなぁとしみじみ思う22の春。ええ、22ですがなにか?
予想以上にきれいな海の水ももうぬるみ、そこらの家の庭にはほころんでいる梅の花。みなさん、春ですよ。

帰りの電車では、満腹とアルコールでまどろむ寸前の二人。文字通り夢見心地です。
しかし、東京に近づくにつれ雲が増え寒くなり、眠気もどこへやら。おいおい、海辺のほうがあったかいのかよ。さらに、今日の最終目的地は実家の群馬。もちろんもっと寒い。風も強い。埼京線は遅れる。湘南新宿ラインは遅れる。南関東から北関東まで一気に縦断し、まだまだ残っている冬も蛇足ながら痛感しました。

そんなこんなのすばらしきお彼岸。
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by yamada-07 | 2006-03-20 01:03 | 日記

言葉の力

別に朝日新聞の例のキャッチコピーとは関係ありません。あのフレーズには言いたいことはありますがひとまずそれはさておき、今日は詩のお話です。

普段私たちが使う言葉は、論理的であることが前提とされます。論理的であるということは、そのその言語体系の使用規則に則り、聞き手に対してある程度以上同質の解釈を求めるということです。もちろんその言語使用状況が私的な場面、親しい間柄になればなるほど、その論理性の簡略化はなされ、厳密性が薄れますが(こそあど言葉の多用や、限られた人間しかわからない符牒の使用など)、それは言語使用の大筋を破棄するものではありません。

しかし、そのような言語体系にとらわれない言語表現があります。それが詩です。
詩は、もちろんそうでないものもありますが、一読した時に従来の日本語体系とはそぐわないものが多くあります。試みに宮沢賢治の詩を例に出してみましょう。

春と修羅・序

ま、日常会話でなされる文章でないことは確かですね。普段の生活でこんなことを誰かに口走られた日には、あだ名は即電波ちゃんに決定です。
宮沢賢治まで行くと極端かもしれませんが、大なり小なり、詩というものにはこのような言葉の撹乱というものがみられます。従来の言葉の使われ方に対する反逆。体系の中を自由に動き回る奔放。言葉の意味への挑戦。そのような秩序紊乱のごとき存在感を詩は示すのです。

しかし、このような意味不明さにも関わらず、詩を書く人がいて、読む人がいて、求める人がいて、評価する人がいて。いったいなぜなんでしょう。

思うにそれは、詩というものの中に顕在している言葉の力そのものではないでしょうか。
これは言葉により現実を編成しなおすだとか、人の考えを直截的に変えるとかそういう話ではなく、言葉そのものに内在しているその存在感です。この存在感にはベクトルはなく、『まさにただそこにある』言葉としての内実です。
従来の言語体系から逸脱することで、そこには既成の文脈的意味が付与されず、ただその言葉の音響イメージと対応する世界の事象、さらには作者独自の言葉の組み合わせによる新たな文脈性の創出。その結果として、「詩」という一つの個的な世界が生み出されるのです。
その世界は言葉の響きによる音響を持ち、言葉から想起される事象による視覚的イメージを持ち、さらには創出された世界から溢れてくる嗅覚・触覚・味覚さえも存在しだすのです。

「言葉の力」というものを、もっとも直截的に、シンプルに表現する手法が「詩」なのではないでしょうか。
すばらしい詩を読むと、私は自分の掌の中に何か不定形の塊が生まれてくるような感覚に襲われます。それこそが、言葉の「力」であり、「世界」なのでしょうか。

うーん、言葉って素敵。
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by yamada-07 | 2006-03-13 23:51 | 雑記

春の夜の夢

なぜかやたらと暇だった今日のバイト。最近疲れが溜まっている私としてはありがたいことではあるのですが(もちろん店側としては迷惑千万な主張です)、度を越えれば暇疲れになってしまうんですよね。人間ってわがまま。

そんなわけで、23時まで働いていくところを22時で首を切られてしまいました。
たまの早上がり、料理長のご厚意で、ホールの22時上がりの子と飲んでいくことにしました。勿論サービスつき。普段は、小金を惜しむことにかけては人後に落ちない私ですが、今日は喜んで飲んでいくことにしました。

え?なぜかって?
ホールの子がかわいかったからに決まってるじゃないですか!

5%ジョークで残りは本音です。普段の私の発言よりはよっぽど真実が詰まってますね。
その95%の本音で言えば、そのホールの子、まだ御歳18歳のピチピチギャルで、とってもかわいらしい女の子。芸能人に例えると広末涼子ちっくな涼しげな顔立ちの子です。そういえば同じ早稲田の教育だな。

なぜか個室に通さたうえで執拗に他のスタッフの嫌がらせをうけ(「襖は少し開けておくようにね」、「いざって時は大声をだして」など、心温まるアドバイスが与えられていました)、それでも閉店まで一時間ほどゆるゆると差し向かいで酒を飲み、食べ物をつまませてもらいました。
ドリンク四杯、料理三品、デザート一品ずつがテーブルの上に並べられて合計2010円というのは、もはや逆に不安になりかねない値段です。人件費削減のために首を切られたはずが、逆に圧迫させてしまったのではないかという申し訳なさ。いやはやいやはや。

美味い酒と美味い料理とかわいい女の子。
おお、これこそ地上に現れた楽園だ。
夢のようなひと時でした。私の幸せタンクはインジケーターMAXです。

かわいい女の子を見るとそれだけで幸せな気分になれるのは老化の兆しでしょうか。いえ、きっと人類普遍の感情でしょう。
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by yamada-07 | 2006-03-13 01:16 | 日記