by yamada-07
カレンダー

<   2006年 05月 ( 12 )   > この月の画像一覧

かぶり

野球帽のつばを後ろ側にしてかぶる。

それを「エロかぶり」と称していたのはうちの地元だけなのだろうか。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-31 21:24 | 駄文

一人じゃない

ものっそ久しぶりに、ビッグバンドで演奏をしてきた。

いわゆる社会人ビッグバンドを見学してきたわけで。

上手いとは言いがたいけども、およそ一年ぶりに合奏をできた、ただそれだけでとっても楽しかったざんす。

そんな人恋しい今日この頃。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-30 00:53 | 日記

至言至言

作家に作品を書かせないような女は、つまらない女にきまっている。とるにも足らぬ女であったのだろう。とるに足る女なら、太宰は、その女を書くために、尚、生きる筈であり、小説を書けなくなったとは云わなかった筈である。
(坂口安吾/「堕落論・太宰治情死考」より)

このテーゼを裏返すと、

作家に小説を書かせるようないい女たれ。

てとこでしょうか。
至言至言。

フェミニズムなど介在させる気は毛頭ありません。ジェンダーがセックスに先行するなぞの急進派の意見は彼方に消え去ってください。
作家が男性であるという前提が成り立っていますが、別に性別をひっくり返してもなんら問題はありません。

作家に小説を書かせるようないい男たれ。

ノープロブレム。
大事なのは、作家自身とその伴侶たる個人の直接的な関係においての話だということです。

これに同意してくれる女性随時募集中。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-29 01:36 | 駄文

心の叫び

数日前に見た夢。

世界の終末が数年後(あるいは数ヵ月後?)にせまった日々、私は終末を共に過ごす人がいず、悲嘆と絶望に暮れている。このまま独りで最後の日を迎えなくてはいけないのかと煩悶しながら、どうしようもなさに溺れている。

こんな救いのない夢から覚めた瞬間に思ったこと。

「彼女が欲しい!!!!!!」

もうこの「!」の多さで私の心の叫びの強さを感じ取ってください。歯軋りすら文字の向こうから聞こえんばかりです。
ここまで痛切に思ったのは、生涯初めてではないか。そう思えるほどの夢からの目覚めってすごいな。よっぽど私の心の奥の方ではそんな感情が鬱屈しているんでしょうか。
五年生にもなると学校に行くのも週に二回。当然友達なぞいやしない。楽器を吹きに学生会館に行っても知り合いに合うことは稀。もしバイトをしていなければ、本気で女性と話す機会が皆無の状況です。というかそもそも会話をしない可能性すらあります。その点で隣人のひかり君に感謝。

わりと好き勝手楽しく暮らしている昨今ですが、ふと心に隙間風が吹くんですよね。ぶるぶる。
M君も書いていますが自分が疲れているだのなんだのってのは、友人にはこぼしづらいものです。やはり彼氏彼女の関係でこそそういことが言いやすいだろうし、言ってもらえると嬉しいんじゃないかな、などと思います。少なくとも私は嬉しいです。

昔から「お前は全然彼女を欲しそうじゃない」だの「別に必要じゃないんじゃないか」だの「楽器が恋人だろ?」だのと言われていますが、私も今年で23。いい加減にいい人が欲しいです。

しかし、対人関係の破綻については極度にチキンの私。おまけにめんどくさがりの私。このままじゃ無理なことはわかりつつもなかなか一歩を踏み出せないでいる私。

がんばれ俺。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-28 00:46 | 駄文

お知らせ

みなさん8月22日がなんの日かご存知ですか?

タモリの誕生日と答えた芸能通。間違いではありません。
日韓併合条約の調印日と答えた歴史マニア。なかなか悪くはないでしょう。
東京初の路面電車が開業したひと答えた鉄ちゃん。それも一つの正解です。

しかし、私の欲しかった正答は

「フジハルカのファーストライブ」

これです。


なに、今をときめくフジハルカをご存じない。
ならばお教えしましょう。
Mひかり、山田の三羽烏(三バカでは決してない、決して)が発起人となり結成された、密かなブームを呼んでいるポップスバンドなのです。知らなかったあなたも大丈夫、このライブにくれば流行に乗り遅れることもありません。

気になる詳細は

日 : 2006年8月22日(火)
処 : 吉祥寺クレッシェンド

open,startは未定ですが、決まり次第またお知らせさせてもらいます。

ファーストライブにしてラストライブになる可能性も無きにしも非ずな貴重なライブなので、是非足を運んでください。というより、これを見た方にはほぼ強制的に来場の義務が発生しますので、覚悟の程をお願いいたします。

ちなみにホーンセクションの中でテナーを吹いているのが私です。もしかしたらマイクを握っている彼かもしれません。いや、ドラムを叩いているあの子かも。それどころかあなたの隣にいるその人だったらどうする!?

そこらへんの真偽を確かめるのも一興かと思うので、どうぞおいでませ。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-18 20:56 | 駄文

天命

俺が審査員なら、ここを万博開催地に推したね。

養老天命反転地

一ヶ月早く知ってれば、GW中に行きたかったな。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-13 00:33 | 駄文

悶絶

バイト中に、爪が割れ皮がむけ出血するほどに左足の小指を強打。

死を覚悟した
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-11 01:38 | 日記

おろす

近所のスーパーにて

たたき用の鯵が三尾で450円。

安かったので、生まれて初めて鯵を三枚におろしてみた。

適当ながらもなんとか形にはなった。

大葉と茗荷と一緒に叩いて臭みを消して。

うん、美味しい。

いい包丁が欲しい。せめて砥ぎ石が欲しい。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-09 23:21 | 日記

明日死ぬとしたら

「苗場君てさ、明日死ぬって言われたらどうする?」俳優は脈絡もなく、そんな質問をしていた。
「変わりませんよ」苗場さんの答えはそっけなかった。
「変わらないって、どうすんの?」
「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって、練習の話でしょ?というかさ、明日死ぬのにそんなことするわけ?」可笑しいなあ、と俳優は笑ったようだ。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」文字だから想像するほかないけど、苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

(終末のフール/伊坂幸太郎 『鋼鉄のウール』より)


のっけから引用ですみません、山田ですこんにちは。

「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

細部に違いはあれど、これに類する文章、皆さん一度は耳にするか眼にするか、何かしらで覚えがあると思います。わりと膾炙されるフレーズですよね。
私も昔から、主に小説でこの手のフレーズを読んでいますが、かっこよく響きはするもいまいち腑に落ちませんでした。しかし、齢22にして不肖山田、なんだか少しわかったような気がします。


「明日死ぬとしたら、生き方が変わる」という生き方は、未来の時間軸上のある一点における自分を、現在を起点に見ているものです。「明日死ぬって言われたらどうする?」という問い自体に、それが前提として含まれてます。それを判りやすく説明するために、逆の例を考えてみましょう。つまり、「未来の時間軸上のある一点(点M)における自分を、より未来にある仮設的な点(点F)から見る」ということです。
点Fから点Mを見るということは、既に自分がその点Mの時間を経験したということを想定しています。例えば今の22歳の私が40歳の私を想像する時に、18年後の自分はどうなっているのかと考えるのではなく、仮想的に60歳の私を想定して、その還暦の私が20年前のことを思い返すように考えるのです。
このような考え方を元にした「後悔をしない生き方」とはどのようなものか。それは、「点Fの自分が点Mの自分を思い返して後悔しないですむもの」となります。この生き方だと、「明日死ぬとしたらどうする?」というような問いをぶつけられても「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」なんて返答ができるんですね。もしかしたら「質問を質問で返すなぁ!」と怒られるかもしれませんが、それはまた別の話。

再び「点Fを現在(点P)を起点に考える」という話に戻ってみましょう。この考え方によれば、後悔しない生き方とは「今その一瞬を楽しく生きる」という極めて刹那的なものが導出されます。なにしろこの場合では、点Mは死という時間軸の消失点(点D)の向こう側にはいけません。それゆえ、点Dと点Pが近づけば近づくほど行為のスパンは短くなり、「明日死ぬとしたら」その行動は刹那的、快楽的、本能的なものに落ち込むことを免れ得ないのです。
しかし、点Fはその位置を点Dに拘束される必要はありません。あくまでその位置は仮設的なものであり、実際に余命一年もない人間が三十年後に点Fを設定してもなんら問題はないのです。

点Pから点Fを考える人間のほとんどは、点Dを平均寿命に設定していると思われます。20歳の人間だったら、あと60年くらい人生が残っている、といういわばカウントダウン方式とも呼べるような考え方です。しかし、平均寿命というのはそれほど甘い考えのものではありません。平均寿命が80歳というのは、60年後まで生きられるということを言っているのではなく、60年後には同世代の半分が死んでいるということを意味しているのです。10年後には死んでしまうかもしれないし、それは1年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。そんな可能性群を乗り切って、ようやく半分の人間が平均寿命を迎えられるのです。
そう考えると、なるほど刹那的に生きるほうが効率的なのかもしれません。明日も知れぬ我が身なら、自分が存続しているうちにやれることをやったほうがいい。それも一理です。
しかし、明日も知れぬということは、自分が平均寿命どころか、白寿を越えることもありうるという可能性も同時に含んでいます。「いつ死ぬかも判らないんだから、好き勝手生きる」、そう人に迷惑をかけることも厭わず生きた人間が平均寿命を越えた時、いったいどのような心持になるでしょうか。「充実した人生を送っているなぁ」ですって?僭越ながらありえないと断言させてもらいましょう。好き勝手生きて、他人に気を遣わず我を押し通して、それで全てが上手くいくほど世の中は甘くできていません。好き勝手な行動とは、そのスパンが短ければ短いほど自分に利をもたらし、長くなればなるほど害をもたらすものなのです。好き勝手に生きてさらに寿命なんか迎えた日には、他の人からの有形無形、意識無意識の圧力で、心身ともに疲弊しきっていることでしょう。決して楽しく充実した一生なんかにはならないはずです。


「あなたの今の行き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
言い換えれば、
「あなたは本当に平均寿命まで生きられると思っているんですか?」
って感じになるでしょうか。
80歳には死ぬから、卒業したら就職して、30歳には結婚して、40歳にはマイホームを建てて、50歳には子供を大学に入れて、60歳になったら定年して以降悠々自適の老後。
そんな生き方は誰が保証してくれたんですか?


点Fから時間軸上を動く点Mを振り返って、自分はそう生きて後悔しないか。そのように想像することができるかどうかが、後悔しない人生を送れるかどうかのポイントなんじゃないでしょうか。
今の一瞬は後悔しない。そんな刹那主義の考え方が必要な時があることは否定しませんが、それで全てが押し通せるかと問われればNOと言うでしょう。
点Mも点Dも、それは共に動点です。特に点Dにいたっては、自分で位置を決めることができない動点です。ならば、せめて自分で決められる点Fから人生を眺めてみるのも乙なものではないしょうか。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-09 21:09 | 雑記

総括

ゴールデンウィーク、特にこどもの日の快晴率は並々ならぬものがあると思います。あと体育の日も。
そんなこんなで晴天に恵まれた今年のGW、うまいこと休みをとればなんと九連休、まさにゴールデン。
で、この九日間のうちにできたことといえば、

・実家にプチ帰省をして、就職した友人たちと久闊を叙す。二年ぶりの再会か。

・二月に購入するも、その内容の難解さに遅々としてページが進まなかった大著、「ソシュールの思想」を読み終わる。二ヵ月半はかかった。

・今年最初の風邪をひく。冬の間は頗る健康だったくせに、一年を通じてもっとも快適であろうこの時期に、一日丸々寝潰すほどに体調を崩した。不覚。


こんなもんですか。
あとはバイトなどしてましたが、全くもっていつもどおりなので割愛。つーか世間の新入社員よりは働いてるって。マジで。

とはいえ、九日間でやったことといっても、GWはまだ明日を残しています。この長期休暇を締めくくる最後の予定は


バイトです。


みなさんお元気で。
[PR]
by yamada-07 | 2006-05-06 23:58 | 日記