by yamada-07
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まつりのあと

去る8/22、吉祥寺にて行われたフジハルカのファースト(&ラスト)ライブ。
先ほど迂闊にもライブ録音を聴いてしまい、向こう一週間くらいは夢にうなされそうな心の傷を負いましたがそれはさておき、非常に楽しいバンドでした。
高校の頃から部活やサークルも含めて五つのバンドを経験して来ましたが、その中でもっとも一人一人のキャラが立っていたバンドでしょう。一言で言い表せば「バカばっか」です。むしろこれ以上言葉を費やしても冗長になるだけでしょう、贅言は要しません、バカばっかでした。最高の褒め言葉ですね。

来てくださった方々、どうもありがとうございました。聞き苦しい演奏も多々あったかと思いますが、それを帳消しにしてお釣りがくるぐらいには楽しめるライブにできたかと思います。多方面から「第二回は?」という嬉しい言葉をいただいていいますが(ちなみに俺に言ってきた人間はいない。全て伝聞情報)、あいにく多忙な人間が多いこのバンド、練習日程をすり合わせるのも一苦労な有様でした。次回ライブができるのかどうかわかったもんじゃありませんが、そのときもまた足をお運びいただければ幸いです。


ちなみに、打ち上げで消費された中ジョッキは48杯。女の子二人を含む九人グループとしては、ろくでもない量だといわざるを得ません。お酒の飲みすぎは注意です。
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by yamada-07 | 2006-08-27 01:47 | 日記

ちょっといいことば

誰かの助けがなければなんにもできやしない。

でもそれはいいこと。

近くに誰かがいてくれるということだから。



今日読んだ本のちょっといい言葉でした。少々リライトしてありますが。

誰の助けもいらないなんてのは、そばに助けを乞える人間が一人もいない寂しさの裏返し。

人間一人じゃ生きていけないというお話です。
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by yamada-07 | 2006-08-19 01:56 | 雑記

会話文考

この頃新しく小説を開拓する気になれません。
最近買った小説といえば、夏目漱石の「坊ちゃん」とサン=テグジュペリの「星の王子様」。どちらも新潮文庫の懸賞につられて購入しました。対象作品を二冊買えばいいので、何でもいいっちゃいいんですが、他の作品には食指が動かなかったんです。漱石とサン=テグジュペリは昔から好きなのですが、その二作品が対象に含まれていたことが幸いでした。

なんで新たに作家を開拓する気になれないのか今までもやもやしていたんですが、今日書店で小説を何本か斜め読みしてふと気づきました。最近の小説を読むと、文章が嘘っぽく感じられてしまうからなんです。
もともとフィクションたる小説で嘘がなにがいけないのかと問われそうですが、別にストーリーの話ではありません。ストーリーメイキングではなくストーリーテリング、その次元の話なんです。
その小説の中の地の文であれ会話文であれ(特に多いのは会話文内ですが)、そこで使われている言葉が現実から不自然に乖離しているように思われる。それゆえの嘘っぽさです。
単純に現実から乖離しているのならそれほど問題はありません。むしろ、私が今現在好んで読む小説で話されている会話は、実際そのように喋る人はまずお目にかかることがないであろうものです。その文章を読んで得られる愉悦は、作者が「小説は虚構のものである」という確信の上に築かれています。実際に私たちが喋る時はこのようには喋っていない。だが、このように文章化すると面白くなる。そう思って作者が文章を作って初めて、その文章には現実から乖離した面白さ、換言すれば小説としての、文章としての面白さがうまれるのだと思います。

翻って、そうでない小説というのはどのような文章であるか。
それは、現実に忠実であろうとするあまり、現実から不自然な形で乖離してしまった文章です。抽象的な言い方をすれば、リアルを煮詰めればリアリティが生まれるという解釈を基にした文章、という表現ができます。
現実の私たちの日常会話を思い出せばわかることですが、私たちは誰かと話をしているとき、どもったり、同じことを繰り返したり、言いたいことが出てこなくてもどかしい思いをしたりと、いつでも流暢にしゃべれるわけではありません。会話を書き起こせば一目瞭然なのですが、「あー」や「えーと」などの間を取る言葉が頻繁に使われています。しかし、小説を書く際にそのような言葉を忠実にはさんでいってはひどく煩雑な文章になってしまいます。それゆえ、ほとんどの小説では間を取るためだけの直接意味を成さない言葉の大半はカットされ、そのうえで文章が構成されています。ですが、単純に間投詞的な語句を除いただけでは、むしろその不自然さが浮かび上がってしまうのです。その文章はロボット的と言うか、読点が少ない文章というか、淀みがないというよりは起伏のない文章になってしまうのです。そのような文章を読むと、私は妙にむずがゆさを覚えてしまいます。その会話主に動きが見えず、ストップアニメーションで文章が展開されていくように感じられるのです。

海外の作品や昔の小説は、どちらも今現在私が使っている言葉とは程度の差はあれ隔たりがあるという共通項があります。それゆえ、漱石やサン=テグジュペリの作品をよんでも、私は変なむずがゆさを感じることはありません。文章構成や単語選択が今の私の常識(あるいは前提)とは異なるため、最初から不自然(すなわち現実とは異なる形で展開されているということ)であることに違和感を覚えないのでしょう。

私自身、小説に限らずこのような固めの文章を書くときも、口語表現と文章表現は基本的にイコールたり得ないという意識で書いています。結局のところはどちらが優れているということではなく、個人の嗜好に還元されてしまうところが大なものではありますが、伊坂幸太郎の作品が好きな人というのは多かれ少なかれ私と似た様な考えがあるんじゃないでしょうかねぇ。
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by yamada-07 | 2006-08-18 01:39 | 雑記

涙はどこへ行った

校歌の最初の歌詞が「ボーイズビーアンビシャス」。

このあまりの破壊力に、日大山形対今治西の感動はあえなく砕け散った。

俺の涙をどうしてくれる。
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by yamada-07 | 2006-08-16 22:27 | 日記

お受験

お受験の特集を見ていると、いい感じに鼻で笑えますね。

そもそも何のためにお受験をするのか。何を目的として小学生、それどころか幼稚園から塾に通わせるのか。それが謎。謎。謎。

こどもがこどものうちにやっておくことなんて、遊ぶことしかないと思いますよ。プラスアルファで最低限の礼儀作法。勉強を勉強として教え込むなんて二の次三の次。それどころか翻って愚の骨頂。夏休みに二十万もかけて朝から晩まで塾に押し込んで。テレビに映ったこどもたちの目の死んでること死んでること。十時を過ぎた築地の魚の方がまだいい目をしてまっせ。

自分が小学生のころを考えたら、朝も早よから起きてラジオ体操、カブト採り。太陽が昇った暑い盛りにはプール。帰り道には7UP。あるいはチューペット。夜は畳の上に寝っ転がって大の字。勉強や宿題なんてものが100光年の彼方にある生活をしていました。
そんな生活を中学生まで続けて、高校に入ってからは部活漬け。学習塾と無縁の生活を18年続けて、その結果まあいわゆる有名大学に入ることができました。

こんな私の半生、及び周囲の人間の生活を見るにつけ悟ったことはひとつ。
できるやつはできるしできないやつはできないっていう身も蓋もない結論です。
結局のところ、人間自分の才覚を越えてできることなんて高が知れてます。というよりは、限界はそうそう越えられないからこそ限界なんです。天賦なんです。
こどものころから塾に通おうが勉強できないやつはできないし、学校で与えられることしかやらなくても理解できるやつはできるんです。
勉強に限らず、スポーツだって音楽だってそう。私がいくら努力しようとも甲子園のスターになることは不可能だったろうし、松井がピアノでサントリーホールを沸かせることはできなかったでしょう。

やればやるほどできるようになる。それはおそらく事実。しかし、それはあくまで絶対評価の話であって、他者と比較して競い合いうものではないはずです。競うのは、競えるだけの技量がある人たち同士でやってもらえばいいんです。みんながみんな同じ競技をやることはないでしょう。

どんな御託を並べたところで、今のご時勢でお受験に血道をあげている家族っていうのは、学歴という競技にこどもを無理矢理参加させているのに違いはありません。んで、厄介なのはこの学歴という種目にはナンバーワンがないってことです。とりあえず今の日本の学歴で最高峰といえば東京大学で大方異論はでないと思いますけど、東大に入学している人なんて毎年数千人単位でいるんですよね。その数千人の中でも文系理系、各種専門があるわけで、その勉強が専門的になればなるほど単純にその優劣を比較することができなくなるんです。さらに言えば、親たち(この時点で言えば当人たるこどもたちもでしょうが)が最終的にこどもらに望んでいることは、いい学歴ではなくいい就職先まわけで、それを得られるかどうか、それこそ東大に入ればオールオッケーとは言えないんです。これで先に述べた「本人の限界以上は無理☆」の論を組み入れれば、もうお受験そのものが無意味って話ですね。


ブリュデューの階級再生産論を入れたお受験の話もいずれしたいんですが、それはいずれということで。
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by yamada-07 | 2006-08-13 23:49 | 雑記

白球を追いかけて

実家に帰り高校野球を見ていたら、今日の最終試合、長野代表松代高校のマネージャーがとてもかわいかった。

清純な黒髪ツインテール。SE・I・SYU・N。

そらあだち充も似たような漫画を何べんも描くって。

高校球児はとてもいいな。
青空球児・好児は別にいいや。
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by yamada-07 | 2006-08-13 22:37 | 日記

やめとうせ

しばらく前から売られている、妙に装丁の安っぽいリミックス系の漫画。
他の漫画はともかく、こち亀で発売してはいけないと思う。
今の秋本治が何代目か知らないけど、この漫画くらいだろ、作品が新しくなればなるほど画が雑になっていく作品は。
人物や背景の書き込みが手抜きだから、最近の画はページが白い。女性キャラが無駄に巨乳(一発で変換できないのか)化。昔は時折混じっていた人情話も、今じゃ薄っぺらい単なる「いい」話。
どっかの高校の漫研の連中が描いてるって言ったら一も二も無く信じるぞ。


それはそれとして、植田まさしの「かりあげ君」はめちゃめちゃ面白い。「コボちゃん」なんかぬるま湯もいいとこ。全国紙じゃ毒は出せないね。
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by yamada-07 | 2006-08-11 00:58 | 駄文

本番

なかなか同意してくれる人に出会わないのだが、このクソ暑いさなかに直射日光の下ぷらぷらするのが好きだ。特に最近は湿度もそれほど高くないので、じりじりと焦がされても十分我慢できる。

やっぱ夏は暑くなければ夏じゃない。今日はたぶん今年初めて雲の近さを感じた。立体感のある夏の雲。いいね。

髪もまだ短いから、ニットキャップをかぶっても耐えられる。バイトの連中からは「信じられない」という顔つきで見られるけど。

そんなこんなで夏本番。
今年はプールに行きたいな。
カキ氷も食べたい。
温泉にも行きたい。
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by yamada-07 | 2006-08-07 20:25 | 日記

たたく

自分でやれることを自分でやると、ずいぶんと得をする。


何が言いたいのかといえば、自炊の安価さです。
居酒屋で頼めば700円はする鯵のたたきが、自分で作れば一人前200円以下でできる(鯵四尾で400円、大葉98円、茗荷198円。これで四人前作れる)。
それをとピーマンと豚肉の炒め物をおかずに、夏の昼食を優雅に堪能。
ご飯は実家から送られてきたものを湯冷ましで炊いたので、そこらの東京の家庭のご飯とは一味違いますぜ。

食後には洗濯物を干して、少しくつろぐ。



おお。なんだか主夫みたい。
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by yamada-07 | 2006-08-01 12:56 | 日記