by yamada-07
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手を変え品を変え

男女問わず、大事なのはやはり品だと思う。

今日喫茶店で小説を書いていたら、とにかく品のないしゃべり方をする女性がいた。
なんと表現しようか、「ああ、はいはい、あんたがそれをすごく面白く思ってしゃべってるのはわかったから、ちょっと話してる相手の顔を見てそれが本当に面白いのか確認してみて。ああもう、反応がないのは別に聞こえなかったからじゃないから、何回も繰り返さなくていいよ」といった感じの人。
この説明でおおむね状況は眼に浮かんでくれると思う。

これが女性というのが、私が目撃した中では珍しいパターン。男性だと時たま目撃しうる人材なんだけど。

この場合の、「品」というものから外れたと思われる行為を具体的に挙げてみよう。

・公共の場所で大声で話す(安めの喫茶店という場所の性質上、ある程度他の場所より許容範囲は広いだろうが、それでも限度はある)

・同じ話、同じ表現を細部だけ変えて好んで使いまわす(「くどさ」というものは「品」からは遠いところにあるものだと思う。表現の意図的な重複が技法上効果を現すこともあるけど、今回は微妙に細部を変えて表現を畳み掛けるというくどさの極み。自分で「この表現サイコーに面白い!」と思っていることがありありと知れる)

・自分の考えがだだ漏れになっている(上記でもちょっと触れたけど、意図が透けて見えるというのは品のいい悪いというか、単純にかっこ悪い。そして、かっこ悪いものを品がいいとは呼べない)

・話すトーンが高すぎる(興奮している姿というのは、基本的にみっともない。そこは見知らぬ人もいる喫茶店)


ま、こんな感じですか。

人の振り見て我が振りなおせ。
明日は我が身。

自分もこのような態度を公共の場で見せないように、あえて文字にしてみました。
品のなさというのは怖いものです。なにしろ、それは本質的に自身では非常に気づきづらいものだからです。普段の習慣、心構えから生じる態度の質を称して品と呼ぶものですから、普段的なものであるだけ、自分の眼で意識しづらいというからくりです。

ちなみに、「人の品の良さを云々するという行為は品がない」というパラドキシカルな反論は成立しうるので、こういうことはあまり人前では言わないようにするのが吉です。やむを得ず言う場合は(どうしても言わずにいられいくらい腹に据えかねたときとか。私にはそういうことがしょっちゅうあったり)、この反論を心に浮かべながら興奮(公憤でも近いかもしれない)に駆られることなく口にするようにしましょう。

それでは明日の予定はきまったかな?濱田マリでした。
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by yamada-07 | 2007-04-25 01:52 | 雑記

お知らせ

リンク先に古書店 山田堂が追加されました。こちらのお店では、店主自作の小説がアップされていきます。山田堂の詳しい説明は、リンク先の「はじめに」を読んでみてください。

では、そちらのお店もご贔屓に。
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by yamada-07 | 2007-04-17 20:52 | 日記

ニッチ

ひさしぶりの週末なので

内田樹氏のこの記事の中段、「物書きは基本的にニッチビジネス」という箇所に強く頷きました。

まだ文章でお金をもらっている立場ではない私がそれを言うのは、おこがましいことなのかもしれませんが、同じく何かを書くことを日々の糧としている(金銭的にではなく、精神的な意味で)私は、最近似たようなことを考えていました。

私が小説を書く理由の一つに、「自分を知りたいから」というものがあります。あるテーマを設定した小説において、自分はそこでどのようなことをどのような文脈で書くのか。それを通じて、自分はどのような人間であるのか知りたいのです。
ヘーゲル、マルクスの昔から、人間存在は「何であるか」ではなく「何をするか」として規定されるものと考えられています。それを労働という観点から考えたのがマルクスの唯物史観ですが、それに倣って言えば、私は「何をどのように書くか」ということで己を見つけたいのです。

自分探しなんかはどこかに行ってするものではなく、日常の行為の中にしか存在しないということですが、ま、それはちょっと蛇足。

私は自分について知りたい。そして、自分について書かれているものがないから、自分で書いている。
私が私自身の代弁者である、というわけです。
代弁者の存在は、「代弁されているもの」がいる、ということを前提としている。私に代弁者がいるということは、私は確かに存在している。それを一人で、自己の中で済ませているんですな。
ここらへんは、ラカンの(正確にはラカンの受け売りをしている内田樹の)受け売りですが。

「自分自身を知りたい」という欲望は誰にでもあるとおもいますが、その欲望が私の文章によって賦活されるかどうかはわかりません。されたらいいと思うし、少なからずされるだろうということを信じずには、世に出そうと思っている小説は書けませんが。

ま、他には小説、というか文章を書いている時というのは、とても楽しいから、というのが、小説家になりたい理由としてあります。書いてると来るんですよ、恍惚とする瞬間が。上手い言い回しを考え付いた時の自分なんか、最高にハイってやつです。書いてる途中で、物語の終わらせ方が見えた瞬間なんかたまりません。
私にとって、趣味と実益を兼ねた職業であるということです。
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by yamada-07 | 2007-04-16 00:24 | 雑記

どうみても

タツノコプロ:ヤッターマン、ガッチャマンが実写映画に

どう見てもブリーフ。

久しぶりの投稿がこんなんでごめんなさい。
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by yamada-07 | 2007-04-11 00:31 | 日記