by yamada-07
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<   2007年 10月 ( 15 )   > この月の画像一覧

10/13 ①

・日本の歴史をよみなおす/網野善彦/ちくま学芸文庫

前後編で発売されていたものを一冊にまとめて再刊されたもの。
内田樹の著書で前々から触れられていた網野氏だが、一ヶ月前に手を出してようやく読みきった。

中世から近世までの歴史(というか民俗史)のうち、著者の長年の研究から、今まで常識だと思われていたことに異論を提出している。

一例を出せば、中世において「百姓」といえばほぼイコールで農民だと思われているが、それは誤りであり、「士農工商」の区分けに従えば、工商に分類されるような職種の人間も多く含まれていた。
「水呑百姓」と言えば、自己所有の田畑を持たない貧農であったと一般的な歴史の知識は教えるがそうではなく、田畑は持っていなくとも、製塩、製鉄、漁業、林業、運輸等農業以外の仕事で多くの富を蓄えていた「百姓」もいた。それでも、石高が上がるような田畑をもっていないという理由で、「水呑百姓」に括られてしまっているのだ。

総じて、日本は古来から農業を中心としてきた国家だと思われてきていたが、そうではなく、四方を海に囲まれ河川も縦横にうねっている狭い国内では、水運を中心に交易が幅広く行われてきていたというのが著者の主張だ。また、国家的な貿易事業だけでなく、南方では朝鮮、中国にとどまらず東南アジアの国々と、北方でもロシアなどと早くから貿易をしていたという。

とまあこれは主に(後)の内容で、(前)では賤民と呼ばれた人間たちにスポットを当てている。が、(前)は正直そんなに面白くなかった。
なんだろう、内容はかなり興味深いはずなのに、いまいち本にのめりこめる箇所が少なかった。勉強には確かになったのだけどもね。
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by yamada-07 | 2007-10-13 19:03 | 青春の一ページ

いわくつきの商品

任天堂から「DS文学全集」なるソフトが出るそうな。
その名のとおり、明治期からの著名な文学作品を収録したもので、百冊からの古典を読めるという(随時配信して、その数は増えていくらしい)。
たしかに便利といえば便利なのかもしれない。100作品で2800円なら割安といってもいいだろうし。

でも、与えられたカテゴリーの中からシーケンシャルな形でしか読めないというのは面白くないと思う。
ある好きな作品があって、同じ作家だか集めるとか、その作家の師匠だから読んでみるとか、同じ賞を受賞しているから手を出してみるとか、そういう形のほうが読書の幅は広がるんではなかろうか。押し付けられた趣味は難しいぞ。

特に、個人的に本は「出会い」であると思っている。「縁」といってもいいけど。
自分が読むべき本は、その必要なときに出会えると信じてる。
その縁が転がってるのは本屋であったり、作中のあとがきであったり、友人の本棚であったり、家人の言葉であったりするわけで、ゲーム売り場ではあんまりないわな。
面白い本を探す醍醐味の一つは、本屋に行って目に留まった本をパラパラ見ながら何を買おうかうきうき迷うことだと思う。幾度となく失敗もあるけど、それ以上に面白い本と出会えた時はたまらない。


というか、真面目に古典を読もうという人間ならDSではなく本を買うだろうし、お手軽にDSで古典を読もうって人間が2800円分内蔵されている文章を読めるとは思えない。古典はケータイ小説じゃないんだぞ。

あと、本を読む時間のない人にあらすじを読むのを勧めるのはいただけないだろう。そんな知識を得たところで教養と呼ぶことはできまいに。「あらすじ機能でお手軽読書」などと謳ってはいけない。
本の価値は、内容も確かにそうであるが、それと同程度に文章の手ざわりが重要なはず。そこに価値を見出さないないなら、古典を読む必要性なんかないと言ってもいい。
どういうことかといえば、古典、特に明治期を中心とする文章は、明らかに現在とは次元の異なる教養が伏流している。具体的に言えば、それは中国古典などの漢文、漢詩に対する知識だ。かつての知識人には当然の如くそれらの知識が備わっていたため、文章の端々にもその跡が見られ、またそれは衒学的なものではなく、ごく自然な表れだったのだろう。
現在そのような文章を書く人間はほとんど存在していない。時代の流れもあるし、それを一概に否定的に考えることもないが、そのような文章が極端に少ないことは事実だ。古典には、そのような漢文的な文章を味わい肥やしにするという意味もあろうに、その意味合いを一切なくしたあらすじのみで古典を楽しもうなどとは笑止千万。てか、それ絶対楽しくないだろ、あらすじしか読まないって。


「ちょっと古典でも読んでみっか」という三日坊主の人間には売れるかもしれないが、たぶんそれっきりだろう。任天堂もあざといな。
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by yamada-07 | 2007-10-11 18:43 | 雑記

BMX日記 その2

秋晴れの日曜日にBMXにのって汗を流すというのは、気持ちがいいものだ。
東京にいたときにはついぞ味わっていなかった爽快感だ。


ポゴ:以前より跳躍の高さが増した。また、ペダルから足を踏み外すことも減り、踏み外したとしても、安定して着地できるようになった。
ただ、前後輪の高さに明らかに差があり、後輪を跳ね上げるコツがいまいちわからない。自転車との一体感だろうか。

マニュアル:初めて、後ろに足を着いてしまうくらいに前輪が上がった。それ以外にも、重心が前にありながらも少しだけ前輪を上げたまま走ることができた。持ち上げた前輪が自由落下する以上の時間は、前輪を上げたままでいられたと思う。成長成長。

前輪を高く上げるコツは、やはり重心の移動のようだ。たちこぎをしているときの重心は極力下に。サドルから腰を浮かし過ぎないようにすべし。
前輪を上げたあとも、重心の水平移動というよりは、むしろ下に下げるようなイメージで。具体的には、サドルより少し上の位置から、サドルと同じ高さでサドル一個分後ろの位置に腰(重心)移動させる感じ。
重心移動は、すばやさと同様に滑らかさが重要であると思われる。自転車が移動しているスピードを殺すような大げさな動作は避けるべきだろう。
また、後ろの足を下に踏ん張り、前足を蹴りだすようにするというのは思った以上に重要。それがないと、重心が上手く後ろにいかない。ただし、必要以上に力むとハンドルがぶれバランスが崩れるので、適当な力で踏ん張る。足をペダルから離さず、密着させたまま踏ん張るイメージか。

上げすぎた前輪の処理は、前述の「滑らかな重心移動」が肝要か。急激な動作では、移動する重心の抑制が難しくなる。自分で制御できるような力の入れ方が大事。
また、肘を曲げて自転車を強くひきつけようとする癖がまだある。そのため、せっかく後ろに持っていった重心が再び前に行ってしまう。肘の屈伸は、あくまで重心のバランスをとるためにするものであって、前輪を上げるためにするものではない。腕疲れるし。

二度前輪を上げすぎたが、二度とも数瞬その状態で走ってから、一気に前輪が上がり自転車が立った状態になり、後ろに足を着いて無様に足をばたつかせて走る羽目になった。これは単純に重心が後ろに行き過ぎてしまった結果だろう。このサイトでは後輪ブレーキを使って倒れないようにすると書いてあるが、自分は使う気配がなかった。というか、使う余裕がなかった。
まずは、確実に前輪を大きく上げられるようにすることが大事。それをある程度自由にできるようになれば、自然と余裕が生まれるだろう。

ロックウォーク:進歩なし。皆目見当もつかない。
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by yamada-07 | 2007-10-07 12:41 | 日記

文章の手ざわり

今、少年サンデー誌上で、伊坂幸太郎原作の漫画が連載されている。

ホームページはこちら
「魔王 juvenile remix」というタイトルで、ちろっと読んだだけなので違ったら申し訳ないけど、物語のベースは既刊「魔王」で、その世界のパラレルワールド(第一部の十年ほど前)で、そこに「グラスホッパー」の世界が混じりこんでいる形。


以前から強く主張していることだが、伊坂作品は映像化に全く向いていない。
映像化というよりは、具体的な視覚化と言うべきだろうか。実際に登場人物が動く姿がそぐわないのだ。

これは伊坂氏の作風に強く由来するものである。
氏の作品は、おそらく全て一人称、つまり登場人物が語るスタイルをとっている。その語りは現在のことでもあるし、回想でもあるし、あるいは信条、信念の告白でもある。
一人称というスタイル自体はありふれたものだが、重要なのは、その文章の手ざわりだ。

文章の手ざわりというのも、現実性に欠けた表現であるが、私は小説に限らず、文章にはそれぞれ固有の手ざわりと呼びうるものがあると思っている。この表現方法は抽象的ではあるが文学的な用語から離れるため、時と場合によってはその文章の性格、イメージを抽象的なまま余計な変化をさせずに伝えることが出来る。と思う。

「手ざわり」というカテゴリーの中には、温度(熱い、冷たい、人肌etc)、湿度(潤いがある、乾燥した、しけったetc)、感触(つるっとした、ざらついた、荒いetc)、重量感(どっしりした、軽々しいetc)などの要素がある。この要素の組み合わせで、文章の性格は抽象的に表現しうる。
これを踏まえて、氏の作品の手ざわりを表現すると、「うっすらと温かみのある、乾いた」文章となると思われる。
温度と湿度が重要な二点のため、他の要素については省いたが、あえて付加すれば、「木綿のような」「素知らぬ顔でのんびり歩くような軽さ」(もはや手ざわりの表現ではないが)と言いたい。だが、この二点については異論が起こりやすい表現であると思われるので、今は論を措く。大事なのは「うっすらとした温かさ」と「乾いた」、特に後者の「乾いた」である。

私は氏の文章を「乾いた」と表現する。これは、梅雨時の湿気のような、そこにまとわりつくような存在感がないということである。
自身を強く主張することなく、その場に静かに立ち、読者に情景の解釈を委ねるような文章、そういうものをして、「乾いた」文章と表現しうる。

もちろん、氏の文章には情景描写や心理描写、人物描写などは存在している。当たり前だ。それが書かれていない小説など存在しない。そのような描写で、物語の枠、筋はしっかりと存在している。
だが、氏の文章はそこからが違う。他の「湿気の強い」文章とは一線を画す。
「乾いた」文章である氏の作品は、読者に物語の進むスピードを委ねているのだ。
奇妙に聞こえるであろう表現を許してもらえれば、氏の文章は一文一文のつながり、行間にある状況、つまり文章では表現されていない状況の自由度が極めて高いのだ。

登場人物が三人いる。道を歩いている。おしゃべりをしている。一人ぼんやりと考え事をしている。

このような状況が文章で表現されている時に、もちろん書かれていない動作、思索などは物語の中で存在しているが、読者の前には現れていない。それを読者は好きに想定できる。自由度が高いとはそういうことだ。
読者には本来見えない部分を読者が自由に想定できるので、そこにはそれぞれの読者ごとにおのずと歩調の違いが出てくる。行間の補完の量が多ければ読み進めるスピードは遅くなるし、文章を素直に追っていくだけならば、すいすいと先に進んでいける。それが委ねられたスピードの意味だ。

ここで、冒頭の具体的な視覚化という話に戻るが、いったん絵、あるいは映像にしてしまったものは、文章以上に想像の自由度を奪ってしまう。視覚の情報量は非常に大きい。他の五感に比べ圧倒的だ。それゆえ、視覚から入力された情報には脳内で補正のかかる余地が少ない。読み進めるペースは一定になりやすく、想像補完の自由度は大きく減ずる。

無論小説の視覚化がまずいといいたいのではない。問題なのは、「乾いた」文章、自由度の高い文章が売りであった氏の作品が視覚化されることで、その持ち味が失われてしまうことだ。
誌上で読んだその漫画は、はっきり言って氏が原作である意味が一切なかった。ただ、物語の設定を氏が考えただけ。原作というよりは、原案と言う方が正確であろう。
その作家自体の力量が足りていないというのもあろうが、あの作品に氏の名前がクレジットされるのは、ファンとして忍びない。
そのほか、「陽気なギャングが地球を回す」や「終末のフール」、「オーデュボンの祈り」も漫画化され、映画化、ドラマ化された作品もいくつかある。というか、視覚化されていない長編は、「ラッシュライフ」と「陽気なギャングの日常と襲撃」、「砂漠」ぐらいである(「魔王」と「グラスホッパー」は正確には視覚化された訳ではないが)。仮にこれらの作品が良作だったとしても、それにはもはや原作者伊坂幸太郎に資する所が少ない。あくまで漫画家、監督の手柄だ。

氏のような乾いた文体をもつ人間は極めて少ない。私は氏以外にそのような文章を書ける人間を知らない。
乾いた文章がもっともすばらしいなどと言いたいわけではない。私自身が湿度の高い文章より乾いた文章を好むことは事実だが、それが絶対的な評価基準になろうはずがない。

ただ、視覚化にむかない文章をむりやり視覚化することに、メディアの側が自重してもらいたいということだ。
氏の作品が好まれる理由は、多くはその「乾いた」文章に由来するのだと思う。少なくとも、私の周りの人間のほとんどがそうだ。その感覚を大事にして、楽しみうるもの楽しみ、自重すべきところを自重する。もし視覚化するのであれば、「乾いた」絵を作れる人間を見つけてからにして欲しい。
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by yamada-07 | 2007-10-06 22:33 | 雑記

BMX日記 その1

久しぶりの更新。いつ以来?知りたくない。

今日は趣向を変えて、群馬に戻ってから始めた新しい趣味、BMXについて。


BMXは普通のママチャリなんかとは違い、飛んだり跳ねたりくるくる回ったりが身上のトリック用自転車。とってもかっこいい。

で、もちろんかっこいいことをするには練習が必要なわけです。練習していれば、苦労や悩みやストレスや気づいた点が出てきます。それを記すための日記。


10/2

ポゴ:「肘、膝を曲げて跳ねる」ということを意識すると、自転車がついてくることがわかった。ただ、着地の際にペダルから足(特に右)が外れやすい。
後輪が地面から離れているかいまいち自信がない。跳躍力は極めて低い。

マニュアル:初めて前輪が浮いたまま走った。ただ、一瞬でバランスを崩し、転びそうになり地面に足を着いた。
重心は高くせず、サドルの上数cmぐらいに腰にキープさせる。肘、膝を緩く曲げたまま立ちこぎをして、人が走るくらいのスピードで走る。肘を曲げ、瞬間的に重心をハンドル付近まで移動させ、すぐにサドルより後ろにまで移動させる。同時に肘を伸ばし腕をまっすぐにする。腰に上下運動をさせず、サドルのすぐ上をスライドさせるイメージか。腕力で前輪を上げるのではなく、腕を伸ばしたまま、体重移動で吊り上げる感じ。そこがまだまだなので、腕が棒。足は、前に出している方は前に蹴りだすイメージ。後ろの足は下に踏みしめるイメージ。
前輪を上げたあとは、重心を動かさず肘の屈伸でバランスをとる。

ロック・ウォーク:一度だけ後輪が滑りそうになる。感覚が全くわからない。


先は長いなぁ。
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by yamada-07 | 2007-10-02 19:01 | 日記