発言の香ばしさ(のみ)で話題の、キングコング西野先生のmixiのコミュニティを見てみた。
まあなんだね。当人が当人ならファンもファンかな、といったものだった。
参加者の書き込みは香ばしいわけではなく、むしろその逆で、各書き込みが妙にフレンドリーで白々しい。
例えるなら狂信的な委員長。もうちょっと具体的に言えば、精神的に甘くべたべたした木津千里が書き込んでいる感じ。
他の若手芸人のコミュニティも見てみたが、それらは特に気になるもんでもなかった。西野先生のコミュニティだけ、気持ち悪いほどのキラキラしたいい人光線が出ている。
いい人光線というか、いい人であろう光線と言う方が正確だろう。
西野先生にアンチが多いことは、ファンの方たちも周知の事実に違いない。実際、コミュニティ内の書き込みにも、アンチによる荒らしがいくつか見受けられた。だから、そのような荒らし行為の醜さを浮き上がらせるべく、過剰ともいえるほどにコミュニティ内の雰囲気をよくしようとしているのだろう。それが、いい人であろう光線の意味するところだ。
その戦略は十分効果のあるものだと思うし、俺がもし同様にそのような目にあったら、正面から相手取るのではなく、やはり無視を貫くだろう。そのような手合いには、罵倒よりも全スルーの方がよっぽどきついからだ。
とまあそのようなキラキラした和気藹々さで、コミュニティは基本的には平穏の内に運営されているようだ。
だが、その平穏さが世間でもマジョリティ足りえるのかという疑念は、心の片隅においておいたほうがいいと思う。
西野先生のどのような点を持ってファンになっているのか、俺には到底及び知ることのできない領域だけど、コミュニティ内の書き込みを見る限りでは、漫才はもとより、彼のブログを読んでファンになった、あるいはもっと好きになったという人が多く見受けられる(ちなみに俺は、本職である漫才は見たことがない、あるいは見ても記憶に残っていないので、その点からのコメントは差し控えさせてもらう)。
しかし、あのブログを読んで感じることは、「ああ、この人はエエッカッコをしたいんだな」ということぐらいだ。
かれは非常にカッコイイことを厚顔のままに言ってくれるが、そんなにカッコイイことを至極真面目に言われても、こちらとしては対応に困る。「だってお前は芸人だろ?」と。「なにをそんな高いところから言っているのか」と。
別に芸人が低い人間なんだと言うのではなく、むしろ順逆は転倒して、芸人が高いところからご高説をのたまってしまうのはオモシロにつながらないだろうということだ。
明石家さんまあたりのビッグネームの年収が一般人にも知られた当初、その余りの稼ぎの大きさに、客はしばらく素直に笑うことができなくなってしまったと言う。「なんだよ、俺たちはあいつを笑ってると思ってたのに、あいつはそんなに稼いでたのかよ」と。
この例は金の稼ぎの問題だが、本質に違いはない。賃金と言う便利な社会的指標は、その所得を稼いだ人間を容易に高いところに置きうる。社会的に上の人間を笑うのは簡単なことではない。
そんなわかりやすい人の摂理を、西野先生はよくわかってらっしゃらないのだろうか。ま、きっとわかっていないのだろう。
あと、彼は非常に自分の頑張りを公言してくれているが、自分で頑張っていると吹聴してくれる奴の痛さと言ったら相当なものだ。
頑張っている人間はかっこいいと思うけど、頑張っていると自分で言ってしまう人間はかっこよくない。それはもう我が身を振り返ることができるかどうか、大人としてのあるべき態度の問題だ。自省するそぶりがなくともかっこいい人間は皆無であるとは言わないが、そんな世界的にも一握りの人間のうちに、残念ながら西野先生は入ってはいない。入る気配も欠片もない。だから、あの自己愛垂れ流しの文章はただ痛々しいだけで終わってしまっている。
また、西野先生のブログは、なんだか言い訳のように読めてしまう。
自分はこれをやった、こう思った。
これをやっている、こうなればいいと思う。
そういうことを逐一告白するのはいいけれど、それは芸人としてどうなんだろうか。
芸人なら表現の手段は自分の芸、十歩譲って直接芸とは関係ないトーク、百歩譲ってオモシロを期したブログ等の文章表現であるべきだろう。
西野先生のブログは、あれは芸人キングコング西野として書かれているのではなく、その舞台から降りた状態、私人としての西野亮廣とみなすべきだ。
だって全然面白くないから。少なくとも芸人がオモシロを目指して書いた文とみなすのは無理がありすぎる。
芸人西野がやったことを、私人西野が説明している。けどそれは所詮解説に過ぎず、ラベル貼りに過ぎない。自分の表現を事後的に解説したところで、漫才のような時間に拘束されざるを得ない芸では、その芸を楽しむことになんの役にも立たない。後でファンがそれを見て意味の乏しい満足を得るだけだろう。
芸の最中に何を考えているだとか、漫才とは何かだとか、興味がある奴には面白いかもしれないけど、それは芸とは直接関係ない。芸は面白ければそれでいいし、それ以上の意味は芸そのものには関係ない。
その明白な無関係性から眼を逸らしながら、いい訳めいたものをつらつら書いているように読める。
そういうことをされると、一個人としてはどうかしらんが、芸人としてはかわいそうな人なんだなと思わざるを得ない。
そんな「ええかっこしいの言い訳」ブログこと
西野公論。
なにはともあれ、黒地に白文字はめちゃくちゃ読みづらいんでやめたほうがいいと思う。